気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)
<ぶらり千葉城?> 1967年に、千葉市が歴史とは無関係に作った観光施設である。 竣工当時は「千葉市郷土館」という名称で観光課が運営していたが、 1979年、市役所の組織改編で文化課に移管。 1983年からは、「千葉市立郷土博物館」に改称された。 千葉氏は常胤の父常重の代、大治元年(1126)上総の大椎から千葉に進出したという。 その後千葉城(亥鼻城)を築き、康正元年(1455)に 千葉宗家の胤直、胤信親子が馬加康胤らによって追われるまで約330年間、 千葉城が千葉氏の本拠であったというのが従来の通説であったが、かなり疑わしい。 千葉城址は千葉の市街地の南から東にのびる台地上にあって、台地の端に位置する。 亥鼻という別名は、地形が猪の鼻に似ていたからという説もあるが、 「亥の端」で亥の方角に突き出た舌状台地の崖端という意味である。 現在は、千葉城のあったところには、模擬天守閣の建物で郷土資料館が建っている。 今の模擬天守閣は、もちろん鎌倉から室町の当時そのような天守閣がありようはずもなく、 復元ではなく、近世の天守閣に擬した創作物である。 ※久しぶりにリフレッシュできました! |
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![]() 千葉市立郷土博物館 |
この場所は、平安の昔からこの地を領有した 千葉氏の城館跡。 この天守型の建物は 昭和42年竣工の模擬天守。 城館時代とは異なる姿で 現在は郷土博物館として機能している。 |
![]() 千葉常胤の木像 |
千葉氏隆盛の祖である千葉常胤の木像 源平の戦いで源頼朝の挙兵に協力した 下総の有力武将。 戦上手で数々の合戦で武功を立て、 頼朝の信任も厚かったそう。 その子孫が千葉を統治する 千葉介を代々引き継ぐことになる。 |