出張先での雑記帖



伏見
Fushimi


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






京都(洛南)



2017年 11月 19日(日) 伏見(京都)

<ぶらり醍醐寺(下醍醐)>

醍醐寺は真言宗醍醐派総本山の寺院。
伏見区東方に広がる醍醐山に200万坪以上の広大な境内をもち、
貞観16年(874年)に空海の孫弟子・理源大師聖宝が開山・創建したお寺。
874年の創建当時は多くの修験者の霊場として発展していました。
その後、醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とするとともに手厚い庇護を受けたのです。
その圧倒的な財力によって「下醍醐」が発展していったのです。


<仏教建築の醍醐味、下醍醐>

総門から入り、正面にみえる仁王門(西大門)をくぐると、
広大な下伽藍に出合うことができます。
中心である金堂(国宝)は豊臣秀吉の命によって、
紀州(和歌山県)の湯浅から移築されたもので、
主要部は平安末期の様式を完全に残しています。
本尊の薬師如来と両脇侍は鎌倉時代の作で、
いずれも重要文化財に指定されています。
国宝の五重塔は、醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工、
村上天皇の天暦5年(951)に完成しました。
京都府下最古の木造建造物で、内部の壁画は
日本密教絵画の源流をなすものといわれています。
下伽藍には、その他清龍宮本殿(重文)や、
祖師堂、不動堂、観音堂、弁天堂、女人堂など多くの堂宇が点在しています。







久しぶりにリフレッシュできました!



西大門 (仁王門)
豊臣秀頼が金堂の再建の後、
慶長10年(1605)に再建したもの。
そこに安置されている仁王像(重文)は、
もとは南大門に祀ら
れていた尊像で、
平安後期の長承3年(1134)に
仏師勢増・仁増によって造立された尊像です。

清瀧宮本殿
醍醐寺の総鎮守清瀧権現を祀る鎮守社。
永長2年(1097)に、最初に建立された
上醍醐より分身を移し祀りました。
その後、文明の兵火により焼失。
現在の社殿は永正14年(1517)に再建され、
慶長4年(1599)、座主・義演僧正により
拝殿の整備が施されました。

金堂
醍醐天皇の御願により延長4年(926)
に創建された建物。
当時は釈迦堂といわれていましたが、
永仁、文明年間に二度焼失。
現在の金堂は豊臣秀吉の命によって
紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、
秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成

五重塔
醍醐天皇のご冥福を祈るために、
第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、
第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成。
高さは約38メートルで
屋根の上の相輪は約13メートルあり、
相輪が塔の三分の一を占め、
安定感を与えています。
京都府下で最も古い木造建築物となっています。

不動堂・護摩道場
堂内には不動明王を中心に
五体の明王を奉安しています。
また、堂前の護摩道場では、
当山派修験道の柴燈護摩が焚かれ、
世界平和など様々な祈願を行っています。

観音堂
この観音堂を中心に広がる、
林泉及び弁天堂、地蔵堂、鐘楼、伝法学院等
を総称して大伝法院と呼びます。
これら諸堂は、醍醐天皇一千年御忌を記念し、
昭和5年(1930)山口玄洞居士の
寄進により造築されたものです。

弁天堂
堂内には、音楽などの学芸や
知識の女神であるとして広く知られている
弁才天(七福神の一つ)が祀られています。



2017年 11月 19日(日) 伏見(京都)

<ぶらり醍醐寺(下醍醐)>

醍醐寺は真言宗醍醐派総本山の寺院。
伏見区東方に広がる醍醐山に200万坪以上の広大な境内をもち、
貞観16年(874年)に空海の孫弟子・理源大師聖宝が開山・創建したお寺。
874年の創建当時は多くの修験者の霊場として発展していました。
その後、醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とするとともに手厚い庇護を受けたのです。
その圧倒的な財力によって「下醍醐」が発展していったのです。


<壮麗な庭、三宝院>

三宝院は永久3年(1115)、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により創建されました。
醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊です。
現在の三宝院は、その建造物の大半が重文に指定されている。
中でも庭園全体を見渡せる表書院は寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物であり、
国宝に指定されています。
国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は、慶長3年(1598)、
豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭であり、
今も桃山時代の華やかな雰囲気を伝えています。







久しぶりにリフレッシュできました!



唐門 (勅使門)
門跡寺院としての三宝院にあり、
朝廷からの使者を迎える時だけに
扉を開いたとされる門が唐門です。



賀茂の三石
池の手前に三つの珍しい形の石があります。
向かって左の石は、
賀茂川の「流れの速いさま」を、
中の石は
「川の淀んだ状態」を、
右の石は
「川の水が割れて砕け散る様子」
を表しています。

亀島
幹の太い立派な五葉松が島全体を覆っていて、
亀の甲羅のように見える島が亀島です。
この松は樹齢六百年以上といわれる
天下の名木で、亀の「静寂」を表しています。

鶴島
亀島の西隣にある島が鶴島です。
この松は五葉松で、
向かって左側の石橋が鶴の首にあたり、
今にも鶴が飛び立とうとしている
「躍動感」を表しています。

三段の滝
三宝院庭園の東南隅に位置する滝。
深山の趣を加え、滝山を高くし、
立石などの作庭がされ、各々の滝の音が、
さらにこの庭園を引き立てています。



2017年 11月 18日(土) 伏見(京都)

<ぶらり醍醐寺>

醍醐寺は真言宗醍醐派総本山の寺院。
伏見区東方に広がる醍醐山に200万坪以上の広大な境内をもち、
貞観16年(874年)に空海の孫弟子・理源大師聖宝が開山・創建したお寺。
874年の創建当時は多くの修験者の霊場として発展していました。
その後、醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とするとともに手厚い庇護を受けたのです。
その圧倒的な財力によって「下醍醐」が発展していったのです。

弘法大師の孫弟子であり修験道中興の祖とされている聖宝理源大師が、
都の東南の方向に五色の雲がたなびいている山を見て、
霊地にすべく登ったところ、横尾明神(醍醐山の神)の化身である老人が現れたという。
老人はそこに湧き出ている水を飲み、
『ああ醍醐味なるかな』と言ったと伝えられており、
これが醍醐寺の名の由来になったとされている。


<五感を澄ませ 僧侶とともに祈る 錦秋の夜>

平成23年より秋期夜間拝観(ライトアップ)が始まりました!








久しぶりにリフレッシュできました!



唐門
朝廷からの使者を迎える時に
この扉を開けたとされている門で、
中央部の扉には桐、
扉の両側には12個の花弁を有する
菊の花を配している。

この門は慶長4年(1599年)に建造され、
以後、2回移築されているという。

西大門 (仁王門)
豊臣秀頼が金堂の再建の後、
慶長10年(1605)に再建したもの。
そこに安置されている仁王像(重文)は、
もとは南大門に祀ら
れていた尊像で、
平安後期の長承3年(1134)に
仏師勢増・仁増によって造立された尊像です。

金堂
醍醐天皇の御願により延長4年(926)
に創建された建物。
当時は釈迦堂といわれていましたが、
永仁、文明年間に二度焼失。
現在の金堂は豊臣秀吉の命によって
紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、
秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成

五重塔
醍醐天皇のご冥福を祈るために、
第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、
第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成。
高さは約38メートルで
屋根の上の相輪は約13メートルあり、
相輪が塔の三分の一を占め、
安定感を与えています。
京都府下で最も古い木造建築物となっています。

観音堂
この観音堂を中心に広がる、
林泉及び弁天堂、地蔵堂、鐘楼、伝法学院等
を総称して大伝法院と呼びます。
これら諸堂は、醍醐天皇一千年御忌を記念し、
昭和5年(1930)山口玄洞居士の
寄進により造築されたものです。



2017年 1月 7日(土) 伏見(京都)

<ぶらり伏見>

伏見桃山城は、伏見区桃山の丘陵に
豊臣秀吉・徳川家康が築いた複数の城の総称

伏見城は、天正20年(1592)に豊臣秀吉が隠居所として築城し、
徳川家康が再興した城。
しかし、二条城の修築によって存在意義が薄れたこともあり、
元和9年(1623)廃城となり、天守や櫓などは全国の城へ分与された。
豊臣秀吉の時代、伏見城の一帯は桃の花畑として開墾されたため
桃山と呼ばれていました。
伏見城を桃山城と呼ぶはこのためです.

伏見桃山城運動公園の城は、
伏見桃山城キヤッスルランドの目玉施設として昭和39年に建設
現在の模擬天守は映画の撮影のために大阪城仕様に塗り直されています。、
しかし当のキャッスルランドは2003年に経営不振により”閉門”。
天守も”破却”される予定だったが近隣住民からの強い要望により保存され、
跡地は運動公園として整備されました。



久しぶりにリフレッシュできました!



伏見桃山城(模擬大手門)
五重6階の大天主、
三重4階の小天主、
櫓門のある模擬天主が
RC構造で再現。



模擬天守、小天守

伏見桃山城(模擬天守)
ここには秀吉・家康が
16-17世紀に建てた伏見城の遺構は無く、
あくまで「場所が近いだけのお城風公園」


黄金の桐紋(豊臣家家紋)



2016年 3月 5日(日) 伏見(京都)

伏見稲荷大社

外国人が訪れたい日本の観光地ナンバーワン
としても名を馳せている京都の伏見稲荷大社!


私たちにとって、もっとも身近な神社といえる「お稲荷さん」。
全国に30,000社あるといわれ、
全国各地で老若男女を問わず親しまれています。
その総本宮が伏見稲荷大社です。


そして、稲荷信仰の原点が、稲荷山であります。
当社の御祭神である稲荷大神様がこのお山に御鎮座されたのは、
奈良時代の和銅4年(711)2月初午の日のこと。
その日から数えて、平成23年(2011)に御鎮座1300年を迎えました。


稲荷山の神蹟を巡拝する「お山巡り」は、
約4キロ、参道にある数千本の鳥居は壮観です!


久しぶりにリフレッシュできました!



伏見稲荷大社(楼門)
ご鎮座は和銅4年(711)とされ、
全国各地に祀られている
稲荷神社の総本宮。
古くは食物・蚕桑あるいは諸願成就の神、
近世にかけて商業神・屋敷神へとご神徳も拡大。


楼門の狐

伏見稲荷大社(内拝殿)
本殿は、明応8年(1499)再興。
神社建築としては大型に属し、
本殿の棟から前拝への屋根が
極めて長い「流造り」
と呼ばれる様式である。



外拝殿

千本鳥居
千本鳥居のある辺りは、
神の降臨地である山の入り口にもあたり、
現世から神様のいる幽界へと続く門
として多くの鳥居が建てられたのが
始まりとされています。