出張先での雑記帖



京都
Kyoto


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






京都(洛西)



2022年 7月 17日(日) 京都(京都)

<ぶらり京都>

<ポケふた>

2021年3月30日、京都市下水道90周年事業の締めくくりとして
ポケモンがデザインされたマンホール蓋「ポケふた」が
嵐山公園・岡崎公園・円山公園・梅小路公園・西京極総合運動公園
市内5ヶ所の公園に設置されました。
伝説のポケモンのホウオウをはじめ、全部で10種類のポケモンです!




5枚のポケふたをコンプリート!暑かった!



嵐山公園のポケふた
嵐山公園
渡月橋近く「中之島」エリア)
「ホウオウ」


嵐山
嵐山公園
渡月橋近く「中之島」エリア)
「ホウオウ」


西京極総合運動公園のポケふた
西京極総合運動公園
たけびしスタジアム京都のゲート前
「チコリータ&ダーテング」


西京極総合運動公園
昭和天皇御成婚奉祝記念事業として
誕生した総合運動公園
「青春の軌跡」像



2021年 5月 22日(土) 高雄(京都)

<三尾の名刹(神護寺)>

栂尾山高山寺(栂ノ尾)/高雄山神護寺(高雄・高尾)/槇尾山西明寺(槇ノ尾)
いずれも紅葉の名所で、「三尾の名刹」と言われています。

神護寺(神護国祚真言寺)は、高野山真言宗遺跡本山の寺院
「神護国祚真言寺」は
「八幡神の加護によって国家の鎮護を祈念する真言の寺」
この寺が「密教寺院」であることを指しています。
空海が東寺や高野山の経営に当たる前に一時住した寺であり、
最澄もここで法華経の講義をしたことがあるなど、
日本仏教史上重要な寺院です。

日本の古い風習の一つ「かわらけ投げ」の発祥の地



※昨日の大雨のためほとんど人が居なくのんびり散策できました。


高雄橋
清滝川に架かる高雄橋
神護寺に続く鮮やかな朱色の橋


楼門
1623年に建立された楼門
残園ながら修復中でした・・・


本坊
書院手前の庭には
鬼瓦が飾られています。


和気公霊廟
神護寺の開祖である
和気清麻呂公の霊
が祀られています


金堂
1934年に建てられた
本瓦葺きの本格的な密教仏堂


大師堂
空海の住居であった
「納涼房」と呼ばれていた建物を
桃山時代に再建


五大堂と毘沙門堂
五大堂には五大明王が、
毘沙門堂には毘沙門天立像が
祀られています。
いづれも1623年に建立建立



2021年 5月 22日(土) 槇ノ尾(京都)

<三尾の名刹(西明寺)>

栂尾山高山寺(栂ノ尾)/高雄山神護寺(高雄・高尾)/槇尾山西明寺(槇ノ尾)
いずれも紅葉の名所で、「三尾の名刹」と言われています。

西明寺は、空海の高弟「智泉大徳」が神護寺の別院として創建
1290年に、後宇多天皇より「平等心王院」の称号を得て
神護寺から独立しました。
現在の伽藍は1700年桂昌院(徳川綱吉の母)の帰依により再建

<本堂東側の苔庭



※昨日の大雨のためほとんど人が居なくのんびり散策できました。


指月橋
西明寺に続く鮮やかな朱色の橋
「大界外相」とは、
俗世間と聖域の境界線(結界)


表門
本堂と同じ1700年に造営
された一間薬医門



表門前に立てられている五重の石塔

本堂
徳川綱吉の母である
桂昌院の寄進によって1700年に再建


聖天堂
商売繁盛・夫婦円満を
司る歓喜天
が祀られています。


高野槙
樹齢は700年以上で、
日本最古の高野槙の木



2021年 5月 22日(土) 栂ノ尾(京都)

<世界文化遺産 高山寺>

栂尾山高山寺(栂ノ尾)/高雄山神護寺(高雄・高尾)/槇尾山西明寺(槇ノ尾)
いずれも紅葉の名所で、「三尾の名刹」と言われています。


高山寺は、芳後鳥羽上皇より
「日出光照高山之寺」の勅額が下賜された勅願寺
高山寺と言えば、「鳥獣人物戯画」「日本最古の茶園」として有名です。


<鳥獣人物戯画「日本最古の漫画」>


平安時代末期の12世紀から鎌倉時代初期の13世紀にかけて
描かれた墨画の絵巻物。
平安時代の世相を反映して
動物や人物を滑稽に面白可笑しくに描いた戯画の集大成です。
甲・乙・丙・丁と呼ばれる全4巻から構成され、
さまざまな動物の生態や遊戯が描かれています。



<日本最古の茶園>

日本茶発祥の地と言われており日本最古の茶園
高山寺で育てた茶の苗木は宇治に移植され全国に広まったと言われています。
栂尾の茶を「本茶」と呼び、
それ以外のものを非茶と読んだといわれています。



※昨日の大雨のためほとんど人が居なくのんびり散策できました。


表参道
栂尾山高山寺(栂ノ尾)
昔はここに仁王門が
建てられていたそうです


石水院(廂の間)
経蔵として建てられた後、
寝殿造の住居建築に改造
(鎌倉時代初期の寝殿造)


善財童子の像

「日出光照高山之寺」の勅額
石水院の南の縁側
から眺める景色は
向山を借景にしています。



金堂
仁和寺の古御堂を移築
(1634年に再建)
桁行3間・梁間3間の一重入母屋造


裏手にある宝塔

御廟
高山寺の開祖である
明恵上人のお墓


明恵上人の坐像が祀られている開山堂

仏足石を祀っている祠
釈迦の足跡を石に刻み
信仰の対象としたもの
「足下二輪相」



2021年 5月 15日(土) 京都(京都)

<世界文化遺産 西芳寺>

西芳寺は、臨済宗の寺院(天龍寺の境外塔頭)
西芳寺の庭園には一面に見事な苔が生えており、
別名「苔寺」とも言われています。

西芳寺は当初「西方寺」でした。
この名前の由来は
「阿弥陀如来が西方の極楽浄土から迎えに来る」
という意味だと考えられますが、
「祖師西来」「五葉聯芳」という禅宗始祖の句にちなみ、
禅僧である夢窓疎石が
「西芳寺」と改めた経緯があります。


<池泉回遊式庭園>


「心」の字を象った黄金池(心字池)を中心に
朝日ヶ島・夕日ヶ島・長島(霞島)などがあり、
現在約120種の苔が覆って緑の絨毯を敷きつめたように見えます。



※予約方法は往復ハガキのみの完全予約制(参拝は中学生以上)
参拝では単に庭園を見学するだけでなく、説法を聞き、読経と写経を行います。
(写経を行わないと庭園は参観できません・・・)


衆妙門
現在の寺の入り口となる門
「衆妙」とは「天地万物の深遠な道理」



本堂(西来堂)
1969年に再建
庭園拝観の前に本堂に参拝し
写経をする必要があります。


庭園に続く道
夢窓疎石が作庭した苔が美しい
池泉廻遊式庭園
(上段の枯山水式庭園は非公開)


黄金池
「心」の字を象った黄金池(心字池)


夜泊石
南北二列に連なる石
港に停泊する船の姿に因んで
夜泊石と呼ばれています。


影向石
しめ縄で飾られた影向石
松尾明神がこの石の上に安座して
松尾大社の宮司藤原親秀に
告げたそうです。



三尊石
霞島南岸にある三尊石
この石組みは金閣寺の葦原島、
銀閣寺の白鶴島に写されました


湘南亭
千利休の次男、千少庵により
建立されたお茶室
L字型に母屋が造られ、
北側に月見台が張り出しています。




2021年 5月15日(土) 京都(京都)

<松尾大社>

東端の八坂神社と向かい合うように西の端に位置する
京都最古の神社の一つ
境内に湧く「亀の井」という名の湧き水を元水に加えて
酒を醸造すれば腐らないといわれ、
酒造の神様として全国的に知られています。

「松風苑」と呼ばれる3つの庭
上古の庭は「木」、曲水の庭は「光」、そして蓬莱の庭は「水」
すべてに共通するのが「岩」

  


<地蔵院(竹の寺)>

細川頼之が宗鏡禅師を招いて建立した臨済禅の寺院。
通称「竹の寺」と呼ばれ美しい竹林の寺
勧請開山は夢窓国師で、一休禅師が幼少時を過ごした寺。

  

※久しぶりにリフレッシュできました!


一の鳥居(松尾大社)
碑の隣にある2つのオブジェは、
お酒を入れる容器「n子」をモチーフ



楼門(檜皮葺の入母屋造)

本殿(松尾大社)
三間社両流造の檜皮葺。
松尾造とも言われています。


霊亀の滝(松尾大社)
松尾大社随一のパワースポット
「よみがえりの水」とも呼ばれる
霊泉(亀の井)



亀と鯉のモチーフ(松尾大社)
亀は不老長寿、
鯉は出世開運の守護として、
松尾大神の使いとされます。


総門(地蔵院)
境内の参道が美しい竹林に
囲まれているため、
「竹の寺」とも呼ばれています。


中門(地蔵院)
平庭式枯山水庭園
別名(十六羅漢の庭)
石の一つ一つが羅漢を表し、
十六羅漢の修行の姿を表現



2016年 11月 5日(土) 京都(京都)

<妙心寺>
妙心寺は臨済宗妙心寺派大本山の寺院であり、
日本にある臨済宗寺院約6,000か寺のうち、
約3,500か寺を占める妙心寺派の総本山

<龍雲図>
「こちらから見ると下がり龍、あちらから見ると上り龍」
とも言われる法堂の雲龍図。
龍の目は円相の中心に描かれますが、
立つ位置、見る角度によって、龍の表情や動きが変化するように見えます。
この雲竜図は狩野探幽によって8年以上の歳月を費やして創られています。



※撮影禁止のためパンフレットを撮影しました!


妙心寺

江戸時代(1656年)創建
内部にあるケヤキの柱は、
原木を四つに割ってから丸く削ったもの

高さは8m、周囲は2m



法堂

妙心寺(浴室)
江戸時代に建立された浴室は
別名を明智風呂と言われています。
サウナの様なお風呂で、
明智光秀の菩提を弔うために
建立されたそうです。

禅宗でいう七堂伽藍に数えられる「浴室」。
お風呂に入るのも
禅寺では修行の一環だそうです。

妙心寺塔頭(退蔵院)
退蔵院は妙心寺の塔頭で、
妙心寺第3世無因和尚を開基として、
応永11年(1404年)に開かれました。



余香苑(池泉式回遊式庭園)



2016年 11月 5日(土) 京都(京都)

<世界文化遺産 天龍寺>


足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、
その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建された。
造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したが、なお造営費用には足りず、
直義は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することとし、
その利益を造営費用に充てることを計画した。これが「天龍寺船」の始まりとされる。

<曹源池庭園>
左手に嵐山,正面に亀山・小倉山を借景した池泉回遊式庭園で、
優美な王朝文化と禅文化が巧みに溶け合った庭
国の特別景勝地指定第一号で最古の回遊式庭園





※見事な庭園でした!


天龍寺(庫裏)
明治32年(1899)の建立。
庫裏は七堂伽藍の一つで
台所兼寺務所の機能を持つ。



達磨図

天龍寺(曹源池庭園)
約700年前の夢窓国師
作庭当時の面影をとどめており、
わが国最初の史跡・特別名勝指定。


中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園

天龍寺(法堂)
元治元年(1864)の兵火にて焼失、
その後明治になり江戸後期建立の
雲居庵禅堂を移築、
禅宗七堂伽藍のひとつとした。



雲龍図(出典 www.rinnou.net)

天龍寺(龍の襖絵)
昭和32年に物外道人によって
描かれたもの。らしい。


天龍寺塔頭(弘源寺)
本堂は客殿形式で寛永年代の造営


枯山水庭園「虎嘯の庭」と
幕末に長州藩がつけた刀傷

天龍寺塔頭(宝厳院)
天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫
にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建



獅子吼の庭 :三尊石・苦海・獣石
室町時代の策彦周良禅師により作庭



2016年 10月30日(日) 京都(京都)

<鷹峯源光庵を訪ねて>

「源光庵は、貞和2(1346)年に、徹翁国師が開山した寺院で、
もともとは臨済宗大徳寺派の寺院として創建されました。
元禄7(1694)年に加賀・大乗寺の27代目卍山道白禅師がここの住職を務めたことから
曹洞宗の寺院に改められ、現存する本堂も建立されました。
本堂にはご本尊の釈迦牟尼佛、両脇に阿難尊者、迦葉尊者がおまつりされています。
本堂横には、卍山禅師が享保4(1719)年に建立された開山堂があります。
卍山禅師は、宗祖道元禅師の教えが当時の乱れた宗門を復古した功績から、
「中興の祖」として讃えられています。
山門には、「復古禅林」の額が掛けられています。

「悟りの窓」
悟りの窓の丸い形は、「禅と円通」の心が表されています。
ありのままの自然の姿、清らか、偏見のない姿、つまり悟りの境地を開くことができ、
丸い形(円)は大宇宙を表現しています。
 

「迷いの窓」
迷いの窓の四角い形は、人間が誕生し、一生を終えるまで逃れることのできない過程、
つまり「人間の生涯」を4つの角で象徴しています。
この「迷い」とは「釈迦の四苦」のことで、
この窓が生老病死の四苦八苦を表しているといわれています。
下窓と上窓に別れていて、
上の四角は、「求不得苦」「五陰盛苦」「愛別離苦」「怨憎会苦」
の4つを表現しているそうです。


※まず迷いの窓の前で普段抱えている苦しみや迷いについて自覚し、
それから悟りの窓の前で自身の内面を見つめなおすと、
本来あるべき自分に生まれ変われるのだとか・・・


源光庵(山門)
山門の上層にあしらわれた
丸窓状の輪は、禅の教えを表しています。



本堂

悟りの窓・迷いの窓
はばたく鶴のように枝を広げたカエデと
亀のように丸く刈り込まれた植栽から
その名がつけられました。


北山を借景とした枯山水(鶴亀)の庭



2016年 10月22日(土) 京都(京都)

<世界文化遺産 2連発>

龍安寺・仁和寺

それぞれ、1994年12月「古都京都の文化財」として、世界文化遺産に登録

昨年12月の京都散策に引き続い、1年ぶりの世界遺産散策です!
龍安寺の石庭は約30年ぶり?


龍安寺
臨済宗妙心寺派。
1450年(宝徳2)細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受け、
妙心寺の義天和尚を開山とし禅寺に改めた。
石庭として有名な方丈庭園(史跡・特別名勝)は、三方を築地塀に囲まれた
枯山水の平庭で、「虎の児渡しの庭」とも呼ばれる。
白砂に15個の石を配した名庭。
「虎の子渡しの庭」や「七五三の庭」などの別称。
1975年にエリザベス2世が龍安寺を公式訪問した際に
石庭を称賛したのがきっかけとなり、
当時の禅ブームの後押しもあって世界的にブレイク




仁和寺

真言宗御室派総本山。
886年(仁和2)、光孝天皇の勅願により創建、888年(仁和4)に完成。
宇多天皇が落髪入寺し寺内に御室(御座所)を設け、御室御所とも呼ばれた。
桜の名所として名高い仁和寺。
桜の時期になると、国宝に指定されている
金堂の前には染井吉野、鐘楼前のしだれ桜などが咲き誇る。
中でもぜひ注目したいのが「御室桜」。
中門内の西側一帯にある桜林が御室桜の林で、遅咲きで背丈が低いことが特徴





※鏡容池のほとりにある塔頭(たっちゅう=子寺)西源院で、
日本庭園を眺めながらの湯豆腐・・・美味かった!


龍安寺(山門)
切妻造の「山門」
山門が建てられたのは、
江戸時代中期とされています。
1755年に洪水で流れて壊れてしまったので、
現在のものはその後の再建されたものです。

龍安寺(石庭)
幅25m、奥行10mの75坪ほどの空間に
白砂を敷き詰め、大小の石を、東から西へ
5,2,3,2,3と合計15個配置


龍安寺(蹲踞:つくばい)
中央の水穴を口の字に見立てると
「吾れ、唯だ、足ることを知る」
これは釈迦が説いた「知足の心」
を図案化したもので、徳川光圀が寄進


龍安寺(鏡容池)
池に周囲の木々を鏡のように移す光景から
「鏡容池」と名がついた、とも言われています。

おしどりの群れが遊ぶ光景が
よく見られたことから通称「おしどり池」

仁和寺(二王門)
寛永〜正保年間に建造。
門の左右に金剛力士像を安置している。
南禅寺三門、知恩院三門とともに
京都三大門のひとつ


二王門の金剛力士像

仁和寺(金堂)
中門をくぐった正面に堂々と建つ
国宝の金堂。
寛永年間の仁和寺再建の際に
御所から下賜された紫宸殿を移築したもの。
金堂は仁和寺の本堂で、
本尊の阿弥陀三尊像などが安置されている。

仁和寺(五重塔)
中門をくぐって右手に建つ五重塔。
寛永21年(1644年)に建立。
各層の屋根の大きさがほぼ同じに造られており、
江戸時代の建築の特徴があらわれている。
高さは36.18メートル。

仁和寺(庭園)
宸殿から北東方向をみる。
飛濤亭と遠方の五重塔が
奥行きを感じさせる。



霊明殿から見た宸殿の庭