出張先での雑記帖



古都京都(世界遺産)
UNESCO World Heritage
Historic Monuments of Ancient Kyoto



気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)







ユネスコの世界遺産は地球の成り立ちから、人類の歴史を引き継ぎ、今に残る過去からの財産で、
国境を越え世界中の人々で共有し、次の世代へ残すべき『たからもの』です。
世界遺産は、文化遺産・自然遺産・複合遺産の3つに分類され登録されます。
そのうちの文化遺産として『古都京都の文化財』が1994年に登録され、
京都文化圏(京都市・宇治市・大津市)の中から17ヶ所の寺院、神社、城で構成されています。
構成資産は京都府京都市、宇治市、滋賀県大津市に点在する次の17資産)


 <京都府京都市>
   1.賀茂別雷神社(上賀茂神社)
   2.賀茂御祖神社(下鴨神社)
   3.教王護国寺(東寺)
   4.清水寺
   5.醍醐寺
   6.仁和寺
   7.高山寺
   8.西芳寺(苔寺)
   9.鹿苑寺(金閣寺)
  10.慈照寺(銀閣寺)
  11.天龍寺
  12.龍安寺
  13.本願寺(西本願寺)
  14.二条城

 <京都府宇治市>
  15.平等院
  16.宇治上神社

 <滋賀県大津市>
  17.延暦寺(比叡山延暦寺)



2021年 9月 12日(日) 京都市(京都)

<世界文化遺産 西本願寺>


正式名称は龍谷山本願寺といい、浄土真宗本願寺派の本山。
親しみをこめて「お西さん」とも呼ばれています。


<縁側と廊下の埋め木>

阿弥陀堂・御影堂の縁側や廊下にできた亀裂や節穴を木片で埋めた修復跡。
昔の職人さんの遊び心とも言われていますが、わざわざ手間をかけて修復するのは、
「足元を見て欲しい:改めて自分の過去や今の存在を見つめ直してみる機会となって欲しい」
との想いが込められているのだそうです。
奥深いですね。




<唐門の修復>

修復完了は2022年3月だそうですが、修復のための足場や覆いが外され、
工事用の柵越しにピカピカの唐門を見ることができます。
修復前(写真の上段)後(写真の下段)の唐獅子の装飾を比較してみました。
黒漆塗を基調として極彩色をほどこした唐獅子が見事に修復されています。
まさに「獅子尽くし」ですね。




久しぶりにリフレッシュできました!



阿弥陀堂門
境内東側にある二つの門のうち北側にある門
切妻造、軒に唐破風がついていて
欅皮葺・金箔が印象的な壮麗な門


阿弥陀堂(本堂)
桁行45m、梁間42m、高さ25mの入母屋造り
本瓦葺き、800名以上が参拝可能
本尊である阿弥陀如来像を安置


御影堂門
境内の東側にある二つの門のうち南側にある門


目隠塀
切妻造、本瓦葺、真壁造の塀

御影堂(大師堂)
桁行62m、梁間48m、高さ29mの入母屋造り、
本瓦葺き、1200名以上が参拝可能
親鸞聖人の御真影を安置


唐門
豪華な彫刻が施されているのが特徴で、
見ていると日が暮れるのも忘れるほど
美しいとして「日暮らし門」
とも呼ばれています。


飛雲閣
豊臣秀吉が建てた
聚楽第の一部と言われており、
金閣、銀閣とともに
京都三名閣と呼ばれています。



2021年 5月 22日(土) 栂ノ尾(京都)

<世界文化遺産 高山寺>

栂尾山高山寺(栂ノ尾)/高雄山神護寺(高雄・高尾)/槇尾山西明寺(槇ノ尾)
いずれも紅葉の名所で、「三尾の名刹」と言われています。


高山寺は、芳後鳥羽上皇より
「日出光照高山之寺」の勅額が下賜された勅願寺
高山寺と言えば、「鳥獣人物戯画」「日本最古の茶園」として有名です。


<鳥獣人物戯画「日本最古の漫画」>


平安時代末期の12世紀から鎌倉時代初期の13世紀にかけて
描かれた墨画の絵巻物。
平安時代の世相を反映して
動物や人物を滑稽に面白可笑しくに描いた戯画の集大成です。
甲・乙・丙・丁と呼ばれる全4巻から構成され、
さまざまな動物の生態や遊戯が描かれています。



<日本最古の茶園>

日本茶発祥の地と言われており日本最古の茶園
高山寺で育てた茶の苗木は宇治に移植され全国に広まったと言われています。
栂尾の茶を「本茶」と呼び、
それ以外のものを非茶と読んだといわれています。



※昨日の大雨のためほとんど人が居なくのんびり散策できました。


表参道
栂尾山高山寺(栂ノ尾)
昔はここに仁王門が
建てられていたそうです


石水院(廂の間)
経蔵として建てられた後、
寝殿造の住居建築に改造
(鎌倉時代初期の寝殿造)


善財童子の像

「日出光照高山之寺」の勅額
石水院の南の縁側
から眺める景色は
向山を借景にしています。



金堂
仁和寺の古御堂を移築
(1634年に再建)
桁行3間・梁間3間の一重入母屋造


裏手にある宝塔

御廟
高山寺の開祖である
明恵上人のお墓


明恵上人の坐像が祀られている開山堂

仏足石を祀っている祠
釈迦の足跡を石に刻み
信仰の対象としたもの
「足下二輪相」



2021年 5月 15日(土) 京都(京都)

<世界文化遺産 西芳寺(苔寺)>

西芳寺は、臨済宗の寺院(天龍寺の境外塔頭)
西芳寺の庭園には一面に見事な苔が生えており、
別名「苔寺」とも言われています。

西芳寺は当初「西方寺」でした。
この名前の由来は
「阿弥陀如来が西方の極楽浄土から迎えに来る」
という意味だと考えられますが、
「祖師西来」「五葉聯芳」という禅宗始祖の句にちなみ、
禅僧である夢窓疎石が
「西芳寺」と改めた経緯があります。


<池泉回遊式庭園>


「心」の字を象った黄金池(心字池)を中心に
朝日ヶ島・夕日ヶ島・長島(霞島)などがあり、
現在約120種の苔が覆って緑の絨毯を敷きつめたように見えます。



※予約方法は往復ハガキのみの完全予約制(参拝は中学生以上)
参拝では単に庭園を見学するだけでなく、説法を聞き、読経と写経を行います。
(写経を行わないと庭園は参観できません・・・)


衆妙門
現在の寺の入り口となる門
「衆妙」とは「天地万物の深遠な道理」



本堂(西来堂)
1969年に再建
庭園拝観の前に本堂に参拝し
写経をする必要があります。


庭園に続く道
夢窓疎石が作庭した苔が美しい
池泉廻遊式庭園
(上段の枯山水式庭園は非公開)


黄金池
「心」の字を象った黄金池(心字池)


夜泊石
南北二列に連なる石
港に停泊する船の姿に因んで
夜泊石と呼ばれています。


影向石
しめ縄で飾られた影向石
松尾明神がこの石の上に安座して
松尾大社の宮司藤原親秀に
告げたそうです。



三尊石
霞島南岸にある三尊石
この石組みは金閣寺の葦原島、
銀閣寺の白鶴島に写されました


湘南亭
千利休の次男、千少庵により
建立されたお茶室
L字型に母屋が造られ、
北側に月見台が張り出しています。




2021年 5月 4日(火) 京都(京都)

<世界文化遺産 東寺>

正式名称は教王護国寺。
平安京時代から現代に残る唯一の遺構。
一直線の伽藍配置(金堂・講堂・食堂)が特徴です
(この配置は仏、法、僧を表しているそうです)


<隠れた見どころをチェック>


@小野道風ゆかりの柳(蛙)
(柳の木に秘められた「逸話」)

A初層部分の四隅を支えて屋根を背負っている「邪鬼」
(五重塔で出会った「可哀想な鬼」)

B尊勝陀羅尼の碑を背負う「亀趺」
(毘沙門堂で発見「パワーストーン」)

  

※のんびりと散策できました!


南大門
桃山時代の特徴を周到した建築様式
蟇股は上部の荷重を支えるための、
かえるの股のように
下方に開いた建築部材



五重塔
日本における木造古塔の中で
最高の高さ(約55m)


宝蔵
校倉造の倉庫で
東寺最古の建造物


小野道風ゆかりの柳

金堂
天竺様・和様、2つの建築様式
を合わせた桃山時代の代表的な建造物


講堂
東寺の中心となる
空海が密教という教えを
伝えるための建物



食堂
僧が生活のなかに
修行を見いだす場




2018年 3月 31日(土) 京都(京都)

<世界文化遺産 二条城>


「元離宮二条城」(二条城)は江戸時代の慶長8年(1603年)、
徳川初代将軍家康が上洛時の宿所としてや京都御所の守護を目的に建てたお城です。
1603年家康が造営した当時、現在の二の丸御殿と天守部分だけでした。
その後、第三代徳川家光が寛永の大改修で二条城の西側に本丸御殿と天守閣を整備し、
ほぼ現在の形となりました。
平成6年(1994年)に世界遺産にも登録されました。

   

※桜が満開でした!


東南隅櫓
602年から1603年に造られ、
1625年から1626年に改修

二条城には寛永期に建てられた隅櫓が
本来四隅にありましたが、
1788年に起きた大火によって
そのうちのふたつが焼失してしまい、
現在はこの東南隅櫓と
西南隅櫓が残っているだけです。

東大手門
二条城の正門にあたり、
現在の東大手門は寛文2年(1662年)
に建築されたもの


唐門
切妻造の四脚門で、
堂々たる唐破風や極彩色の彫刻が特徴。


二の丸御殿(車寄)
遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、
黒書院、白書院の6棟が立ち並ぶ御殿
部屋数が33、約800畳という広大な空間!


車寄せ欄間

二の丸庭園
神仙蓬莱の世界を表したといわれる
小堀遠州の手による書院造庭園


天守台から見た本丸御殿
本丸御殿は、1893年から翌年にかけ、
京都御苑内にあった
旧桂宮御殿を移築したもの


清流園
1960年に作られた新しい庭で、
茶室などがある和風庭園と、
芝生の広がる洋風庭園とに分かれた
和洋折衷の庭



桜の薗
二条城のサクラは城内全域で、
約400本・50品種が植えられています




2017年 11月 19日(日) 伏見(京都)

<世界文化遺産 醍醐寺>

醍醐寺は真言宗醍醐派総本山の寺院。
伏見区東方に広がる醍醐山に200万坪以上の広大な境内をもち、
貞観16年(874年)に空海の孫弟子・理源大師聖宝が開山・創建したお寺。
874年の創建当時は多くの修験者の霊場として発展していました。
その後、醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とするとともに手厚い庇護を受けたのです。
その圧倒的な財力によって「下醍醐」が発展していったのです。


<仏教建築の醍醐味、下醍醐>

総門から入り、正面にみえる仁王門(西大門)をくぐると、
広大な下伽藍に出合うことができます。
中心である金堂(国宝)は豊臣秀吉の命によって、
紀州(和歌山県)の湯浅から移築されたもので、
主要部は平安末期の様式を完全に残しています。
本尊の薬師如来と両脇侍は鎌倉時代の作で、
いずれも重要文化財に指定されています。
国宝の五重塔は、醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工、
村上天皇の天暦5年(951)に完成しました。
京都府下最古の木造建造物で、内部の壁画は
日本密教絵画の源流をなすものといわれています。
下伽藍には、その他清龍宮本殿(重文)や、
祖師堂、不動堂、観音堂、弁天堂、女人堂など多くの堂宇が点在しています。







久しぶりにリフレッシュできました!



西大門 (仁王門)
豊臣秀頼が金堂の再建の後、
慶長10年(1605)に再建したもの。
そこに安置されている仁王像(重文)は、
もとは南大門に祀ら
れていた尊像で、
平安後期の長承3年(1134)に
仏師勢増・仁増によって造立された尊像です。

清瀧宮本殿
醍醐寺の総鎮守清瀧権現を祀る鎮守社。
永長2年(1097)に、最初に建立された
上醍醐より分身を移し祀りました。
その後、文明の兵火により焼失。
現在の社殿は永正14年(1517)に再建され、
慶長4年(1599)、座主・義演僧正により
拝殿の整備が施されました。

金堂
醍醐天皇の御願により延長4年(926)
に創建された建物。
当時は釈迦堂といわれていましたが、
永仁、文明年間に二度焼失。
現在の金堂は豊臣秀吉の命によって
紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、
秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成

五重塔
醍醐天皇のご冥福を祈るために、
第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、
第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成。
高さは約38メートルで
屋根の上の相輪は約13メートルあり、
相輪が塔の三分の一を占め、
安定感を与えています。
京都府下で最も古い木造建築物となっています。

不動堂・護摩道場
堂内には不動明王を中心に
五体の明王を奉安しています。
また、堂前の護摩道場では、
当山派修験道の柴燈護摩が焚かれ、
世界平和など様々な祈願を行っています。

観音堂
この観音堂を中心に広がる、
林泉及び弁天堂、地蔵堂、鐘楼、伝法学院等
を総称して大伝法院と呼びます。
これら諸堂は、醍醐天皇一千年御忌を記念し、
昭和5年(1930)山口玄洞居士の
寄進により造築されたものです。

弁天堂
堂内には、音楽などの学芸や
知識の女神であるとして広く知られている
弁才天(七福神の一つ)が祀られています。



2017年 11月 19日(日) 伏見(京都)

<世界文化遺産 醍醐寺>

醍醐寺は真言宗醍醐派総本山の寺院。
伏見区東方に広がる醍醐山に200万坪以上の広大な境内をもち、
貞観16年(874年)に空海の孫弟子・理源大師聖宝が開山・創建したお寺。
874年の創建当時は多くの修験者の霊場として発展していました。
その後、醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とするとともに手厚い庇護を受けたのです。
その圧倒的な財力によって「下醍醐」が発展していったのです。


<壮麗な庭、三宝院>

三宝院は永久3年(1115)、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により創建されました。
醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊です。
現在の三宝院は、その建造物の大半が重文に指定されている。
中でも庭園全体を見渡せる表書院は寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物であり、
国宝に指定されています。
国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は、慶長3年(1598)、
豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭であり、
今も桃山時代の華やかな雰囲気を伝えています。







久しぶりにリフレッシュできました!



唐門 (勅使門)
門跡寺院としての三宝院にあり、
朝廷からの使者を迎える時だけに
扉を開いたとされる門が唐門です。



賀茂の三石
池の手前に三つの珍しい形の石があります。
向かって左の石は、
賀茂川の「流れの速いさま」を、
中の石は
「川の淀んだ状態」を、
右の石は
「川の水が割れて砕け散る様子」
を表しています。

亀島
幹の太い立派な五葉松が島全体を覆っていて、
亀の甲羅のように見える島が亀島です。
この松は樹齢六百年以上といわれる
天下の名木で、亀の「静寂」を表しています。

鶴島
亀島の西隣にある島が鶴島です。
この松は五葉松で、
向かって左側の石橋が鶴の首にあたり、
今にも鶴が飛び立とうとしている
「躍動感」を表しています。

三段の滝
三宝院庭園の東南隅に位置する滝。
深山の趣を加え、滝山を高くし、
立石などの作庭がされ、各々の滝の音が、
さらにこの庭園を引き立てています。



2017年 11月 18日(土) 伏見(京都)

<世界文化遺産 醍醐寺>

醍醐寺は真言宗醍醐派総本山の寺院。
伏見区東方に広がる醍醐山に200万坪以上の広大な境内をもち、
貞観16年(874年)に空海の孫弟子・理源大師聖宝が開山・創建したお寺。
874年の創建当時は多くの修験者の霊場として発展していました。
その後、醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とするとともに手厚い庇護を受けたのです。
その圧倒的な財力によって「下醍醐」が発展していったのです。

弘法大師の孫弟子であり修験道中興の祖とされている聖宝理源大師が、
都の東南の方向に五色の雲がたなびいている山を見て、
霊地にすべく登ったところ、横尾明神(醍醐山の神)の化身である老人が現れたという。
老人はそこに湧き出ている水を飲み、
『ああ醍醐味なるかな』と言ったと伝えられており、
これが醍醐寺の名の由来になったとされている。


<五感を澄ませ 僧侶とともに祈る 錦秋の夜>

平成23年より秋期夜間拝観(ライトアップ)が始まりました!








久しぶりにリフレッシュできました!



唐門
朝廷からの使者を迎える時に
この扉を開けたとされている門で、
中央部の扉には桐、
扉の両側には12個の花弁を有する
菊の花を配している。

この門は慶長4年(1599年)に建造され、
以後、2回移築されているという。

西大門 (仁王門)
豊臣秀頼が金堂の再建の後、
慶長10年(1605)に再建したもの。
そこに安置されている仁王像(重文)は、
もとは南大門に祀ら
れていた尊像で、
平安後期の長承3年(1134)に
仏師勢増・仁増によって造立された尊像です。

金堂
醍醐天皇の御願により延長4年(926)
に創建された建物。
当時は釈迦堂といわれていましたが、
永仁、文明年間に二度焼失。
現在の金堂は豊臣秀吉の命によって
紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、
秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成

五重塔
醍醐天皇のご冥福を祈るために、
第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、
第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成。
高さは約38メートルで
屋根の上の相輪は約13メートルあり、
相輪が塔の三分の一を占め、
安定感を与えています。
京都府下で最も古い木造建築物となっています。

観音堂
この観音堂を中心に広がる、
林泉及び弁天堂、地蔵堂、鐘楼、伝法学院等
を総称して大伝法院と呼びます。
これら諸堂は、醍醐天皇一千年御忌を記念し、
昭和5年(1930)山口玄洞居士の
寄進により造築されたものです。



2016年 11月 5日(土) 京都(京都)

<世界文化遺産 天龍寺>


足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、
その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建された。
造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したが、なお造営費用には足りず、
直義は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することとし、
その利益を造営費用に充てることを計画した。これが「天龍寺船」の始まりとされる。

<曹源池庭園>
左手に嵐山,正面に亀山・小倉山を借景した池泉回遊式庭園で、
優美な王朝文化と禅文化が巧みに溶け合った庭
国の特別景勝地指定第一号で最古の回遊式庭園





※見事な庭園でした!


天龍寺(庫裏)
明治32年(1899)の建立。
庫裏は七堂伽藍の一つで
台所兼寺務所の機能を持つ。



達磨図

天龍寺(曹源池庭園)
約700年前の夢窓国師
作庭当時の面影をとどめており、
わが国最初の史跡・特別名勝指定。


中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園

天龍寺(法堂)
元治元年(1864)の兵火にて焼失、
その後明治になり江戸後期建立の
雲居庵禅堂を移築、
禅宗七堂伽藍のひとつとした。



雲龍図(出典 www.rinnou.net)

天龍寺(龍の襖絵)
昭和32年に物外道人によって
描かれたもの。らしい。


天龍寺塔頭(弘源寺)
本堂は客殿形式で寛永年代の造営


枯山水庭園「虎嘯の庭」と
幕末に長州藩がつけた刀傷

天龍寺塔頭(宝厳院)
天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫
にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建



獅子吼の庭 :三尊石・苦海・獣石
室町時代の策彦周良禅師により作庭



2016年 10月30日(日) 京都(京都)

<世界文化遺産 3連発>



上賀茂神社
上賀茂神社の御祭神「賀茂別雷大神」は、
母である玉依日売が境内を流れる御手洗川に流れてきた
白羽の矢を床に置いたところ懐妊したとされます。
玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られています。
御祭神である「賀茂別雷大神」の「別雷」とは、若い雷(神鳴り)という意味もあり、
雷を神様と考えていた古来日本人の信仰を伝えています。

<下鴨神社>
御祭神の賀茂建角身命は古代の京都山城を開かれた神さま。
玉依媛命は賀茂建角身命のお子さま。
下鴨神社の歴史は古く平安京が造営される遙か以前から神聖な場所だったのです。
例えば、崇神天皇七年(紀元前90年頃)に、神社の瑞垣の修造がおこなわれた
という記録も残っています。
平安京の造営に当たって、下鴨神社で造営祈願が行われました。
以来、国民の平安をご祈願する神社と定められました。
玉依媛命のお子さん「賀茂別雷大神」は上賀茂神社の御祭神で、
下鴨神社と共に賀茂神社と総称され、
京都三大祭りの一つ葵祭(賀茂祭)が両社で催されます。



<醍醐寺>
醍醐寺は真言宗醍醐派総本山の寺院。
伏見区東方に広がる醍醐山に200万坪以上の広大な境内をもち、
貞観16年(874年)に空海の孫弟子・理源大師聖宝が開山・創建したお寺。
874年の創建当時は多くの修験者の霊場として発展していました。
その後、醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とするとともに手厚い庇護を受けたのです。
その圧倒的な財力によって「下醍醐」が発展していったのです。

「醍醐の花見」は豊臣秀吉や北政所、淀殿らの近親者から諸大名やその配下のものまで
約1300人を召し抱えた盛大な催しで、
秀吉一世一代の催し物と言われています。


※上賀茂神社の特別拝観がお得です!


上賀茂神社(楼門)
立砂は細殿前に作られ、
神様が最初に降臨された
上賀茂神社の北2kmにある神山
を模して作られたそうです。


立砂と細殿(拝殿)

下鴨神社(楼門)
太古、この地を占有していた
賀茂氏が創祀したわが国最古の神社の一つ。
祭神として、賀茂建角身命と玉依姫命を祀る。


中門

醍醐寺(仁王門)
空海の孫弟子理源大師聖宝が
醍醐山上に草庵を営んだのに始まる。
五重塔は天暦6年(952年)の建立で、
府内最古の木造建築物


五重塔 と 金堂

三宝院(唐門)
1115年に醍醐寺14代座主勝覚が
灌頂院として開く。
のちに仏教の三宝にちなんで「三宝院」となる


「醍醐の花見」に際して、
豊臣秀吉自らが基本設計した日本庭園



2016年 10月22日(土) 京都(京都)

<世界文化遺産 2連発>

龍安寺・仁和寺

それぞれ、1994年12月「古都京都の文化財」として、世界文化遺産に登録

昨年12月の京都散策に引き続い、1年ぶりの世界遺産散策です!
龍安寺の石庭は約30年ぶり?


龍安寺
臨済宗妙心寺派。
1450年(宝徳2)細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受け、
妙心寺の義天和尚を開山とし禅寺に改めた。
石庭として有名な方丈庭園(史跡・特別名勝)は、三方を築地塀に囲まれた
枯山水の平庭で、「虎の児渡しの庭」とも呼ばれる。
白砂に15個の石を配した名庭。
「虎の子渡しの庭」や「七五三の庭」などの別称。
1975年にエリザベス2世が龍安寺を公式訪問した際に
石庭を称賛したのがきっかけとなり、
当時の禅ブームの後押しもあって世界的にブレイク




仁和寺

真言宗御室派総本山。
886年(仁和2)、光孝天皇の勅願により創建、888年(仁和4)に完成。
宇多天皇が落髪入寺し寺内に御室(御座所)を設け、御室御所とも呼ばれた。
桜の名所として名高い仁和寺。
桜の時期になると、国宝に指定されている
金堂の前には染井吉野、鐘楼前のしだれ桜などが咲き誇る。
中でもぜひ注目したいのが「御室桜」。
中門内の西側一帯にある桜林が御室桜の林で、遅咲きで背丈が低いことが特徴





※鏡容池のほとりにある塔頭(たっちゅう=子寺)西源院で、
日本庭園を眺めながらの湯豆腐・・・美味かった!


龍安寺(山門)
切妻造の「山門」
山門が建てられたのは、
江戸時代中期とされています。
1755年に洪水で流れて壊れてしまったので、
現在のものはその後の再建されたものです。

龍安寺(石庭)
幅25m、奥行10mの75坪ほどの空間に
白砂を敷き詰め、大小の石を、東から西へ
5,2,3,2,3と合計15個配置


龍安寺(蹲踞:つくばい)
中央の水穴を口の字に見立てると
「吾れ、唯だ、足ることを知る」
これは釈迦が説いた「知足の心」
を図案化したもので、徳川光圀が寄進


龍安寺(鏡容池)
池に周囲の木々を鏡のように移す光景から
「鏡容池」と名がついた、とも言われています。

おしどりの群れが遊ぶ光景が
よく見られたことから通称「おしどり池」

仁和寺(二王門)
寛永〜正保年間に建造。
門の左右に金剛力士像を安置している。
南禅寺三門、知恩院三門とともに
京都三大門のひとつ


二王門の金剛力士像

仁和寺(金堂)
中門をくぐった正面に堂々と建つ
国宝の金堂。
寛永年間の仁和寺再建の際に
御所から下賜された紫宸殿を移築したもの。
金堂は仁和寺の本堂で、
本尊の阿弥陀三尊像などが安置されている。

仁和寺(五重塔)
中門をくぐって右手に建つ五重塔。
寛永21年(1644年)に建立。
各層の屋根の大きさがほぼ同じに造られており、
江戸時代の建築の特徴があらわれている。
高さは36.18メートル。

仁和寺(庭園)
宸殿から北東方向をみる。
飛濤亭と遠方の五重塔が
奥行きを感じさせる。



霊明殿から見た宸殿の庭



2016年 10月 1日(土) 京都市(京都)

<西本願寺>


<西本願寺 vs 東本願寺>
西本願寺は正しくは龍谷山本願寺といい、浄土真宗本願寺派の本山。
一方、東本願寺は正しくは「真宗本廟」といい、真宗大谷派の本山。

戦国時代、石山合戦で一向宗(本願寺派)の本山である石山本願寺
(現在の大阪城がある場所にあった)が、武装解除に応じたことで、
一向宗は石山本願寺から追われます。

秀吉の治世になり、本願寺派は京都の烏丸で本願寺の再興を許されます。
その後、家康の宗教政策によって、当時、本願寺内で分裂状態が起きていたことを利用し、
教如を門主とし、本願寺のすぐ東の土地を与えられ
本願寺を分立したのが真宗大谷派の始まりです。

この本願寺の立地関係から、西と東という通称が付けられるようになったのです。

初代の親鸞から十一代の門主 「顕如(けんにょ)」までは東西本願寺は同じ宗派でしたが
西の十二代目が「准如(じゅんにょ)」、東の十二代目が「教如(きょうにょ)」と
分裂してしまいます。



久しぶりにリフレッシュできました!



西本願寺
正しくは龍谷山本願寺といい、
浄土真宗本願寺派の本山

西本願を創ったのは、豊臣秀吉


唐門(国宝)

東本願寺
正しくは「真宗本廟」といい、
真宗大谷派の本山

東本願寺を創ったのは、徳川家康



2016年 3月 5日(日) 宇治(京都)

<平等院>

平等院は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。
平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、
「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。
山号を朝日山と称する。
宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、
現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている




久しぶりにリフレッシュできました!



平等院
関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から
譲り受けた別業を、
その子頼通が永承7年(1052)にこれを
仏寺に改め、平等院としました。


鳳凰像

浄土院
平等院の塔頭(大寺に所属する別院)
の一つで、1439年の創設。


上林記念館
宇治は、天領と御茶師の町であった。
その町を代表するのは、宇治郷代官であり
御茶師の頭取である上林家であった。
豊太閤のころ上林掃部は、
千利休の点てる茶を造ったのである。
そして掃部久重の弟竹庵が
慶長五年(1600)伏見城で軍功を挙げたところから、
その家流において上林一族が、
交互に御茶師の支配に当たることになったという。



2015年 12月12日(土) 京都(京都)

<世界文化遺産 2連発>

教王護国寺(東寺)・慈照寺(銀閣寺)


昨年7月の京都散策に引き続い、1年ぶりの世界遺産散策です!
実は、私も〇〇年ぶりで、楽しむことができました!


<南禅寺ぎんもんど>

かつての近江の豪商、小林吟右門の別荘跡として、贅を尽くしたゆったりとした空間。
落ち着いた数寄屋造りのお屋敷は、趣ゆたかな池泉庭園へとつらなり、
四季折々の風情をゆったりとお楽しみいただける京料理の料亭です。



※京風寄せ鍋でほっこりと・・・美味かった!


教王護国寺(東寺)
世界文化遺産
平安建都の際、都の南玄関、
羅城門の東に作られた。
後に空海が賜り、密教の根本道場とし、今に至る
五重塔は、高さ約55メートルの日本最高の塔。


慈照寺(銀閣寺)
世界文化遺産
相国寺の塔頭寺院の一つ
臨済宗相国寺派の禅寺。
江戸時代、金閣寺に対し、
銀閣寺と称せられることとなった



2014年 7月27日(日) 京都(京都)

<世界文化遺産 3連発>


海外5ヵ国から6名を招待し、日本からの参加メンバー10名と合わせて
総勢16名で、Antibacterial training Meeting を無事に終了!
日本が初めてのメンバ-が多く、Excusion として、
清水寺・金閣寺・二条城を見学。
皆さん、楽しみにしていた様子で、日本の美しさに感激していました!
実は、私も〇〇年ぶりで、楽しむことができました!


<京懐石とシードル>

「美味遊楽創」をテーマに、
料理と器の美しい調和を追求する京都の名店「濱登久(はまとく)」
華麗な「源氏絵巻」のおもてなし…。
器と料理が醸し出す平安の雅な味わいをお楽しみ下さい。

 

リンゴを発酵させてつくられる果実由来の発泡性のお酒。
シードルの起源は古く、1,000年以上の歴史を持つと言われます。
欧米諸国ではポピュラーですが、味や飲み方は国によって異なります。
特にイギリスでは、ビール市場の5分の1程度にまで広がるほどの人気だそうです。
クセになる味です!



清水寺
春の桜と新緑、秋の紅葉と
四季折々の美しさを背景にした
懸崖造りの本堂(国宝)は、
断崖の上にせりだし、
市街地の眺望も最高です!


鹿苑寺(金閣寺)
金閣は舎利殿として建てられたもの。
鏡湖池に臨む三層の楼閣は
二層・三層に金箔をはった
室町期楼閣建築の代表的例。
庭園は、特別史跡・特別名勝に
指定されています。


二条城
徳川幕府における京都の拠点となった
二条城は、
徳川家康が慶長8年(1603年)に
京の宿館として建設した平城。