出張先での雑記帖



松本
Matsumoto


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2017年 10月 12日(木) 松本(長野)

<ぶらり 松本>

約2ヶ月半の品川出張!
(8月20日から10月18日)

毎週、松本・長野に通い、平日はホテルと会社の往復でした・・・
そこで、夕方からの会議の前にまたまた松本城散策です!


<松本城>

北アルプスの麓、長野県松本市にある国宝・松本城。
戦国時代から江戸時代の初め、日本にはかなりの数の城郭がありましたが、
今でもかつての状態のまま天守が残っている「現存天守」はわずか12。
そのうち五重天守をもつ城は松本城と姫路城だけで、
松本城は現存する日本最古の五重天守なのです。

500年以上前から経つ平地にある最古の城!
黒く堂々とした景観が美しく「カラス城」とも呼ばれています。




本日で終了となります。少し残念・・・
いろいろお世話になりました。有難うございました。




松本城(天守群)

松本城は標高590メートルの
盆地内平地に位置しています。
平地に築かれた平城です。

松本城天守群は、
大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓
の五棟で形成されています。
大天守と乾小天守を渡櫓によって連結し、
辰巳附櫓と月見櫓が複合された
連結複合式の天守です。

松本城(石落)

石落は、石垣を登る敵兵に石を落としたり、
熱湯等をかけたりして、天守を守る装置でした。
戦いの主要武器が火縄銃となった
戦国末期にはここから這い上る敵兵に
火縄銃を撃ったと考えられています。

松本城(武者窓/竪格子窓)

3連・5連の竪格子窓が見られます。
格子に使われている部材は
13×12cmで、ここからも火縄銃を撃ったと
考えられています。


松本城(舟形肘木)

梁を繋ぐとき、その部分が弱くなるので
下から舟形をした材をあてて強化しています。
柱もいたるところで継がれていて、
修理時に用いられた金輪継ぎ等の技術を
見ることができます。

松本城(隠し階:暗闇重)

下から二重目の屋根がこの階の周囲を
巡ってつくられているため窓が作れません。
戦時は倉庫・避難所として
つかわれたと考えられています。

手斧削りによる貝殻状の
「はつり紋」が美しく浮かび上がります。

松本城(二十六夜神)

元和3年(1617)松本に入封した
戸田氏がまつったとされています。
月齢26日の月を拝む信仰で、
戸田氏は毎月3石3斗3升3合3勺(約500kg)
の米を炊いて供えたといわれています。

関東地方に盛んだった
月待信仰が持ちこまれたものと解されています。

松本城(桔木構造)

屋根裏を見上げると太い梁が
井の字の形に組まれ(井桁梁)、
四方へ出て軒をつくる垂木の下に、
さらに太い桔木が外側に向かって
放射状に配置されています。
これは天守最上階の重い瓦屋根の
軒先が下がらないように支えるため、
テコの原理を使った装置です


松本城(月見櫓)

戦いのない江戸時代初期に築造されたため、
戦いに備えて造られた天守とは
大きな違いがあります。
東西四間×南北三間で、
月見櫓の北側、東側、南側の三方向が
開口部ですが、
柱と舞良戸という横に桟を打った
薄い板戸だけの建物です。



2017年 10月 11日(水) 松本(長野)

<ぶらり 松本>

約2ヶ月半の品川出張!
(8月20日から10月18日)

毎週、松本・長野に通い、平日はホテルと会社の往復でした・・・
そこで、夕方からの会議の前に少しだけ松本散策です!


さくら肉料理>

江戸時代には獣肉を食べることが禁じられており、そのまま呼ぶことがはばかられたため、
猪の肉を「牡丹(ぼたん)」、鹿の肉を「紅葉(もみじ)」と呼んでいたように、
馬肉にも植物系の名前をつけようとしたと言われています。
そこに「桜」が選ばれた理由として切った時の肉の色があり、
「桜肉」と呼ばれるようになったのではないか?と言われています。



信州・松本の名物と言えばやっぱり蕎麦と思っていましたが、
郷土料理として「さくら肉料理」も独特の食文化としてしっかりと息づいています。
写真の馬刺し3種盛のタテガミ(白い色)は「脂身」ですが、
あっさりと食べやすく舌の上でとろける食感がたまりません。
そして、ほんのりとした甘味があり、不思議な味わいでした。
その他、「イナゴの佃煮」「わさび茎のしょうゆ漬け」・・・
最後は勿論「信州蕎麦」で〆ました!

※美味かった!



旧開智学校

松本市開智に残る
明治時代初期の洋風校舎。
日本で最古の小学校です。
文明開化時代の小学校建築を代表する建物
として広く知られている。


高橋家住宅

松本市内に現存する数少ない武家住宅。
現存する武家住宅では、
長野県内で最も古い建物のひとつです。


四柱神社

四柱とは、天之御中主神・高皇産霊神・
神皇産霊神・天照大神の四人の神をさし、
すべての願い事が叶う
願い事むすびの神です。



ナワテ通り

女鳥羽川の土手から始まった通りで、
「縄のように長い土手」から「縄手」
と呼ばれるようになりました。

江戸期の城下町松本の風景を再現した
通りには、小さなお店が
長屋風に並んでいます。

ナワテ通り(カエルの街)

昔、女鳥羽川には清流にしか生息しない
「カジカガエル」がいっぱいいました。
残念ながら現在はその姿が見れませんが、
その復活と街おこしをかけて、
なわて通りは「カエルの街」としています。


中町通り

土蔵造りの建物で統一された風情ある通り。
その白と黒との簡潔なデザインの
土蔵造りの家が中町付近には
今なお多く残っており、
古き松本の雰囲気を漂わせています。


中町通り(蔵シック館)

中町・蔵シック館(松本市中町蔵の会館)は、
造り酒屋を移築した建造物です。


 



2017年 10月 11日(水) 松本(長野)

<ぶらり 松本>

約2ヶ月半の品川出張!
(8月20日から10月18日)

毎週、松本・長野に通い、平日はホテルと会社の往復でした・・・
そこで、夕方からの会議の前に少しだけ松本散策です!

松本には数多くのそば店がありますが、レベルの高いお店が多いといわれています。
その大きな理由は地元産の良質なそば粉が手に入ることと、水がいいことです。
松本城の周辺には数多くの井戸水や湧き水があり、平成の名水百選に選ばれています。


<市街地 湧き水巡り>

松本市街地は、女鳥羽川や薄川の伏流水と見られる地下水が豊富で
数多くの井戸や湧水があります。
市街地の中に数多くの湧水があることは珍しく
「まつもと城下町湧水群」として
『平成の名水百選』に選定されました。
市内を流れる水路は、江戸時代には庶民の生活用水や防火用水、
町の境目として重要な役割を持ち、
現代へと続いており私たちの生活に潤いを与えています。



※のんびり散策することが「できました!


源智の湧水

享保年間(1716〜36)に源地を水源に
中町、本町に引水するようになっても、
この井戸だけは引水を許さなかったそうです。


源智の井戸

天保14年(1843)に著された
「善光寺道名所図会」には、
「当国第一の名水」と称賛されています。
小笠原家の家臣・河辺与三佐衛門源智の
持ち井戸で、その名をとって
『源智の井戸』と称するようになりました。


源智の井戸

湧水と道祖神
「水入らず 目合高砂道祖神」


信州そば こばやし

伝統を守り続ける、百有余年の伝統ある老舗
信州松本手打ちそば「こばやし」は
明治末期に長野県北安曇の地、
糸魚川沿いの大町に創業開店致しました。


信州そば 榑木野 駅舎店

松本駅の駅舎内という
アクセスに便利な立地のそば処。
安曇野の井戸水を使った
本格的な信州そばが楽しめます。



2017年 10月 5日(木) 松本(長野)

<ぶらり 松本>

約2ヶ月半の品川出張!
(8月20日から10月18日)

毎週、松本・長野に通い、平日はホテルと会社の往復でした・・・
そこで、夕方からの会議の前に少しだけ松本散策です!


<松本周遊バス タウンスニーカー>

松本市の中心部を走るタウンスニーカーは
城下町まつもとの有名観光スポットを巡るのにぴったりな周遊バスです。


 

※のんびり散策することが「できました!


旧開智学校

松本市開智に残る
明治時代初期の洋風校舎。
日本で最古の小学校です。
文明開化時代の小学校建築を代表する建物
として広く知られている。


旧開智学校

構造は木造で桟瓦葺、
寄棟2階建土蔵造りで、
和風と洋風の入り混じった
擬洋風建築の代表的なものといわれています。



松本市旧司祭会館

明治22年に、クレマン神父によって
建築され、長野県内で現存する
最古の宣教師館です。
旧藩政時の武家屋敷跡地に
建築された西洋館で、
宣教師館や伝道師たちの住居として
使用されていました。

松本神社

松本城の北隣に鎮座する神社。
地元では「五社」と呼ばれている。
前身は、縁結びおよび郷土発展の神として
信仰を集めた暘大神社


松本市時計博物館

時計コレクター本田親蔵から
寄贈されたコレクションを中心に約400点を所蔵、
うち110点を常設展示する。
外壁に国内最大級の振り子時計が
設置されている。


旧制松本高等学校

大正8年に創立され、
「松高」の名で親しまれた旧制高等学校
淡いモスグリーンの木造洋風校舎です。


あがたの森公園

旧制松本高等学校の跡地に作られた公園
ヒマラヤ杉やケヤキなどに囲まれ、
日本庭園風の池や、広い芝生広場、遊具
などがある松本市民の憩いの場。
旧制松本高校の木造校舎が残っています。



2017年 8月 30日(水) 松本(長野)

<ぶらり 松本>

約2ヶ月半の品川出張!
(8月20日から10月18日)

毎週、松本・長野に通い、平日はホテルと会社の往復でした・・・
そこで、夕方からの会議の前に少しだけ松本散策です!


<松本ツーリストホテルの大浴場「かぼちゃの湯」>

天然水を活性磁化水に変えた大変まろやかなお湯です。
さらに、パワースポットで知られる戸隠の高波動湧水を付加。
身体にとてもやさしく、また芯から温まります。




※のんびりと温まることが「できました!


松本市美術館

松本市出身の芸術家・草間彌生
の作品は水玉インパクトがスゴイ。


松本市美術館

世界的にも有名な草間彌生さんは、
見る者の視界を覆い尽くさんばかりの
水玉模様のモチーフを使うことが特徴。


中町通り

土蔵造りの建物で統一された風情ある通り。
その白と黒との簡潔なデザインの
土蔵造りの家が中町付近には
今なお多く残っており、
古き松本の雰囲気を漂わせています。



中町通り(はかり資料館)

中町通りのほぼ中央に位置する
はかり資料館は測る道具が約1,000点も
展示されています。


中町通り(蔵シック館)

中町・蔵シック館(松本市中町蔵の会館)は、
造り酒屋を移築した建造物です。


 



2017年 8月 22日(火) 松本(長野)

<ぶらり 松本>

約2ヶ月半の品川出張!
(8月20日から10月18日)

毎週、松本・長野に通い、平日はホテルと会社の往復でした・・・
そこで、夕方からの会議の前に少しだけ松本散策です!


<松本城>

北アルプスの麓、長野県松本市にある国宝・松本城。
戦国時代から江戸時代の初め、日本にはかなりの数の城郭がありましたが、
今でもかつての状態のまま天守が残っている「現存天守」はわずか12。
そのうち五重天守をもつ城は松本城と姫路城だけで、
松本城は現存する日本最古の五重天守なのです。

500年以上前から経つ平地にある最古の城!
黒く堂々とした景観が美しく「カラス城」とも呼ばれています。




<松本城は何故黒い>

江戸時代に建てられた多くの城は、白亜の天守が多く代表的なお城では、
姫路城や弘前城などが挙げられます。
しかし、松本城は黒い天守のため江戸時代には異例のお城でした。
なぜ、松本城は黒いのでしょうか?

それは、築城した石川氏の豊臣家への忠誠心からと言われています。
石川氏は豊臣秀吉の信頼の厚い武将と伝えられています。
豊臣秀吉が築いた大坂城は、金が良く映えるように黒で統一されていました。
松本城が黒いのは、石川氏の秀吉への忠誠のアピールと思われます。
その松本城は戦国末期、鉄砲戦を想定して戦うための漆黒の天守の典型として、
現存する唯一のお城です。
関ヶ原の戦い以降徳川の御世になると、姫路城のような白亜の天守が多く築城されました。
よく、姫路城は別名「白鷺城」といわれるのに対し、松本城は別名「烏城」とも呼ばれています。

お城の色を見ると築城した際に、
徳川家康と豊臣秀吉のどちらが関わっていたかが分かると言われているとのこと。
家康の息がかかった武将が築城した城は白く、
秀吉の息がかかった武将が築城した城は黒が多いのです。
大阪城は、築城当時は金箔の瓦と黒漆の壁で造られたお城で金が大変映える
艶やかなお城だったといわれています。
このように豊臣秀吉は、金が良く映える黒い城を好んだと言われ、
それと対照的に徳川家康は、優雅で厳かな白い城を好んだと言われています。


桜の時期にまた、訪れたい街です!




松本城(黒門)

本丸御殿に通じる格調高い正式な門
という意味で、当時の最高の色調である
黒の名を冠して「黒門」と呼ばれます


松本城(天守群)

松本城は標高590メートルの
盆地内平地に位置しています。
平地に築かれた平城です。

松本城天守群は、
大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓
の五棟で形成されています。
大天守と乾小天守を渡櫓によって連結し、
辰巳附櫓と月見櫓が複合された
連結複合式の天守です。

松本城(石落)

石落は、石垣を登る敵兵に石を落としたり、
熱湯等をかけたりして、天守を守る装置でした。
戦いの主要武器が火縄銃となった
戦国末期にはここから這い上る敵兵に
火縄銃を撃ったと考えられています。

松本城(武者窓/竪格子窓)

3連・5連の竪格子窓が見られます。
格子に使われている部材は
13×12cmで、ここからも火縄銃を撃ったと
考えられています。


松本城(舟形肘木)

梁を繋ぐとき、その部分が弱くなるので
下から舟形をした材をあてて強化しています。
柱もいたるところで継がれていて、
修理時に用いられた金輪継ぎ等の技術を
見ることができます。

松本城(隠し階:暗闇重)

下から二重目の屋根がこの階の周囲を
巡ってつくられているため窓が作れません。
戦時は倉庫・避難所として
つかわれたと考えられています。

手斧削りによる貝殻状の
「はつり紋」が美しく浮かび上がります。

松本城(二十六夜神)

元和3年(1617)松本に入封した
戸田氏がまつったとされています。
月齢26日の月を拝む信仰で、
戸田氏は毎月3石3斗3升3合3勺(約500kg)
の米を炊いて供えたといわれています。

関東地方に盛んだった
月待信仰が持ちこまれたものと解されています。

松本城(桔木構造)

屋根裏を見上げると太い梁が
井の字の形に組まれ(井桁梁)、
四方へ出て軒をつくる垂木の下に、
さらに太い桔木が外側に向かって
放射状に配置されています。
これは天守最上階の重い瓦屋根の
軒先が下がらないように支えるため、
テコの原理を使った装置です


松本城(月見櫓)

戦いのない江戸時代初期に築造されたため、
戦いに備えて造られた天守とは
大きな違いがあります。
東西四間×南北三間で、
月見櫓の北側、東側、南側の三方向が
開口部ですが、
柱と舞良戸という横に桟を打った
薄い板戸だけの建物です。