出張先での雑記帖



長崎
Nagasaki


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2021年 10月11日(月) 長崎(長崎)

<ぶらり長崎>

古くから国際貿易港として栄え、日本近代化の礎を築いた長崎
江戸時代、鎖国体制を敷いていた日本で、唯一海外との貿易が認められていた長崎県。
グラバー園をはじめ異国の文化が垣間見える観光スポットが点在しています。

旧グラバー住宅と大浦天主堂の2つの世界遺産の構成資産が並んでいるという
世界でもめずらしいエリアです。


<ハートストーン>

「グラバー園」の路面や「眼鏡橋」近くの護岸に埋め込まれたハートストーン

  

ハートストーンに触れると、恋の願いが叶うとか



旧グラバー住宅(グラバー園)
現存する日本最古の木造洋風建築
外観は日本瓦と土壁が使われ、
室内は典型的な西洋風の造り
(残念ながら保存修理工事中)


旧リンガー住宅(グラバー園)
家の三方をベランダで囲まれた
バンガロー風の建物
木と石がうまく調和した珍しい木骨石造り



旧オルト住宅(グラバー園)
石造円柱に支えられたベランダ
中央に張り出す切妻屋根のポーチ
エントランス前の噴水が
印象的な石造りの洋館


旧三菱第2ドックハウス(グラバー園)
典型的な西洋風建築の建物
最も高台にある建物のベランダから
稲佐山と長崎港を一望


大浦天主堂
正式名称は「日本二十六聖殉教者聖堂」
現存する国内最古のゴシック調教会
世界の宗教史上に残る
劇的な「信徒発見」の舞台


白亜の「日本之聖母像」

眼鏡橋
日本初のアーチ式石橋
(日本三名橋の一つ)
川面に映った影が双円を描き、
「メガネ」に見えることから眼鏡橋


出島
徳川幕府の命により築造された人工の島
鎖国時代、西洋に開かれた唯一の窓口
現在、16棟の建物や景観が復元


四海樓
「ちゃんぽん」「皿うどん」発祥の店
長崎港を臨む5階展望レストラン
2階は「ちゃんぽんミュージアム」


長崎内外倶楽部(出島)
長崎の食をテーマにしたレストラン
長崎県産野菜の出島カレー
こだわりの素材と味を活かした
長崎県産8種類の彩り豊かな野菜カレー



2005年 6月21日(土) 長崎(長崎)

<ぶらり長崎>

長崎市は、九州の北西部に位置する都市で、長崎県の県庁所在地である。
古くから、外国への玄関口として発展してきた港湾都市である。
江戸時代は国内唯一の貿易港出島を持ち、ヨーロッパから多くの文化が入ってきた。


<長崎チャンポン&カステラ>
長崎チャンポンは、その昔上海航路で長崎にやって来た中国人が
新鮮で豊富な東シナ海の魚貝に野菜を加えて考案したものです。

カステラは、ポルトガルから伝わった南蛮菓子を元に日本で独自に発展した和菓子。
ポルトガルには「カステラ」という名の菓子はなく、スペインの地方名カスティーリャ(Castilla)
のポルトガル語発音であるカステーラ(Castela)と言われているそうです。


 

美味かった



シーボルト記念碑(長崎大学医学部)
長シーボルトは,1823年(文政6),
出島のオランダ商館医として長崎に派遣され,
絵師川原慶賀や全国から西洋学問を学びに
来た学者たちの協力を得ながら,
日本の調査・研究を行い,
その成果をヨーロッパに紹介。
日本に近代西洋医学を伝えるとともに,
日本の近代化やヨーロッパでの
日本文化の紹介に貢献した。

シーボルトとオタクサ
シーボルトは、長崎に来てタキと暮らしました。
ドイツ人である彼は 「お滝さん」 という名前の
読みを 「オタクサ」 として聞き取り、
彼女のことを 「オタクサ」 と呼んでいました。
やがて、シーボルトは、初めて見る美しい花
「あじさい」 に出会いました。
彼はその花に愛する人の名をとって 「オタクサ」
と名付け、「日本植物誌」に掲載しました。
近年では品種改良された西洋アジサイが多く見
られますが、もともと日本で自生する
梅雨の季節の植物でした。


平和公園
上空を指す右手は原爆の脅威、
水平に伸びた左手は世界の平和
軽く閉じられたまぶたは原爆犠牲者
の冥福を祈っていると言われています。

眼鏡橋
アーチと川面に映るその姿を合わせると眼鏡に
見えるおとから名付けられました。

現存する、日本で最古のアーチ型石橋です。

オランダ坂
昔、長崎の人々はヨーロッパ人のことを
「オランダさん」と呼んでおり、
そのオランダさんが歩いていたことから
オランダ坂と名付けられたそうです。