出張先での雑記帖



坂本
Sakamoto


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2024年 1月 5日(金) 坂本(滋賀)

<ぶらり坂本>

琵琶湖の水位が基準を大幅に下回った(-78cm)ことから
2024年1月4日に渇水対策本部が設置されました
(2005年12月以来18年ぶりだそうです)

<坂本城>

近江国滋賀郡を領した明智光秀によって1571年に築かれた琵琶湖に面した水城。
宣教師ルイス・フロイスに「安土城に次ぐ天下第二の城」と評された豪壮華麗な城で、
比叡山の抑えや水陸交通の掌握を務める要衝でしたが、
1586年羽柴秀吉の命によりその機能を大津城に移し廃城になりました。

琵琶湖の水位が低下したことにより
普段は湖に沈んでいる坂本城跡の石垣の石が姿を現しています。
(琵琶湖の水底から姿を現した 「幻の城」 坂本城の石垣)



一直線に並ぶ2辺の石の列が「坂本城の石垣」の痕跡(根石の石列)です。
(写真右:桟橋下の根石の石列は舟入跡)



坂本城の石垣
普段は水中に没している
坂本城の石垣
(最も下の部分を支える根石)


坂本城湖畔のヨシ群落地
湖岸にヨシ帯が広がり
周辺はヨシ群落保全区域
に指定されています


坂本城跡公園裏の砂浜
坂本城址公園から見た琵琶湖
渇水で砂浜が現れていました
正面は三上山(近江富士)



坂本城跡公園
坂本城跡公園は
実際に坂本城があった場所より
南に位置しているそうです


七本柳鳥居(日吉大社)
鳥居の上部笠木の上に
三角形の破風がついた
山王鳥居



2022年 11月 6日(日) 坂本(滋賀)


<ぶらり坂本>

 
滋賀県大津市坂本は日吉大社と延暦寺が共存し
神仏習合の街として栄えました。


(その1) 旧竹林寺


延暦寺の里坊群のひとつ。 元里坊 旧竹林院
里坊とは僧侶の隠居所のことで、比叡山の麓には今も多くの里坊が残されています。
旧竹林院は、里坊のなかでもとりわけ見事な庭園を持つことで有名。
江戸時代初期に築造された里坊の書院前庭園
大宮川を引き込み曲水とし八王子山を借景とした美しい庭です。
築山も起伏に富み、五重の石塔や井筒などの石造物も多く残っています。
逆さ紅葉と苔の美しい池泉回遊式庭園です。



リフレクションが幻想的ですね!



旧竹林院
大宮川を引き込み曲水とし
八王子山を借景とした美しい庭



旧竹林院(1階からの眺め)
大宮川の水を引き込み
滝組と築山を配した回遊式庭園



旧竹林院(2階からの眺め)
大宮川の水を引き込み
滝組と築山を配した回遊式庭園




2022年 11月 6日(日) 坂本(滋賀)


<ぶらり坂本>

(その2) 日吉神社


全国各地にある3,800余りの「山王(さん」の総本宮。
比叡山連峰 八王子山の麓に広がり、延暦寺の門前町坂本の鎮守神。
平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、
都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは
天台宗の護法神として多くの方から崇敬を受け、今日に至っています。

天気が良いので「八王子山」の頂上付近にある奥宮エリア
(日吉大社の信仰の原点となった巨石(金大巌)を祀る奥宮)まで登りました。
奥宮からは坂本の街並み、琵琶湖、対岸にある三上山(近江富士)まで見渡せます。



秋の花手水も楽しめますよ!



一の鳥居
日吉三橋のひとつ。
走井祓殿社に向かう橋



走井橋

西本宮楼門
西本宮本殿(1586年の造営)
日吉造と呼ばれる独特の形



東本宮楼門
東本宮本殿(1595年の造営)
日吉造と呼ばれる独特の形



奥宮(三宮・牛尾宮)
三宮・牛尾宮の間にある
10メートルほどの大岩
日吉大社の始まりの場所



金大巌



2022年 11月 6日(日) 坂本(滋賀)


<ぶらり坂本>

(その3) 西教寺


聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈・慧聡のために創建
その後慈恵大師良源上人が復興したお寺。
1486年に真盛上人が入寺されるに至り不断念仏の道場となり、
全国に450以上の末寺を持つ天台真盛宗の総本山。

織田信長の比叡山焼き討ちでは、災禍を被りましたが、
明智光秀がその復興に尽力したことから、明智光秀ゆかりの寺となりました。

坂本の一帯の神社仏閣では、猿は神様の使いとされていて、
日吉大社の「神猿」に対し、西教寺は「護猿」と呼ばれています。



紅葉が色づき始めました!



総門
天正年間に坂本城主明智光秀が、
坂本城門を移築したと伝えられている城門
総門をくぐった先の一直線に伸びる参道



三羽雀(西教寺の寺紋)
天台真盛宗の寺紋
子孫繁栄やすずめの恩返しで知られる
報恩講の精神という意味があるようです。



本堂
1739建立。総欅入母屋造
小堀遠州作の庭園



明智光秀公と一族の墓
1582年にこの世を去った明智光秀は、
6年前に亡くなった内室・熙子や
一族の墓とともに祀られています。




2020年 3月 8日(日) 坂本(滋賀)


<西教寺>


滋賀県大津市の坂本にある「西教寺」は、
2020年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公「明智光秀」ゆかりの地です。

創建は聖徳太子で669年(天智天皇8年)
室町時代に比叡山で修業された真盛上人が戒律・念仏の根本道場として再興、
織田信長の焼き討ちによって焼失後、坂本城主になった明智光秀によって復興され、
天台真盛宗約400寺の総本山として現在に至っています。
逆臣とされる光秀ですが、近年は皇室への崇敬の厚さや、
領民に慕われた愛妻家として再評価されつつあります。


<びわ湖大津・光秀大博覧会 〜戦国ぶらさんぽ〜>

2020年3月8日(日)より開催を予定しておりました
「びわ湖大津・光秀大博覧会」について、
新型コロナウイルスによる感染拡大を防止するため、
下記のとおり一部開催内容を変更いたします。

@禅明坊光秀館・・・・・当面の間、開館日を延期します。

  

久しぶりにリフレッシュできました!



総門
天正年間に坂本城主明智光秀が、
坂本城門を移築したと伝えられている城門
総門をくぐった先の一直線に伸びる参道


本堂
豪壮な総欅入母屋造
江戸時代の1739年に上棟落成したもの
正面の欄間や須弥壇はすべて
欅の素木造


護猿
猿は神様の使いとされていて、
西教寺では
「護猿(ござる・まもりざる)」
と呼ばれています


宗祖大師殿からの眺望
宗祖大師殿からの眺望
唐門を通じた目の前に広がる
琵琶湖の絶景


明智光秀公と一族の墓
1582年にこの世を去った明智光秀は、
6年前に亡くなった内室・熙子や
一族の墓とともに
「西教寺」に祀られています。




2018年 11月17日(土) 坂本(滋賀)


<ぶらり旧竹林寺>

比叡山延暦寺・日吉大社の門前町・坂本
元里坊 旧竹林院

延暦寺の里坊群のひとつ。
里坊とは僧侶の隠居所のことで、比叡山の麓には今も多くの里坊が残されています。
旧竹林院は、里坊のなかでもとりわけ見事な庭園を持つことで有名。
庭園は国指定の名勝で、大宮川を引き込み曲水とし八王子山を借景とした美しい庭です。
築山も起伏に富み、五重の石塔や井筒などの石造物も多く残っています。

  


秋のライトアップも幻想的です!



旧竹林院
里坊のひとつで、
延暦寺の中でも格式の高い寺院
八王子山を借景、
大宮川の水を引き込んだ回遊式庭園



日吉大社
比叡山の麓に鎮座する日吉大社は、
およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、
全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮。
3000本のもみじがあり、
関西屈指の紅葉名所として知られています。


旧白豪院(現芙蓉園本館)
東塔東谷に属する白毫院境内に
江戸時代初期に築造された回遊式庭園
明治時代初期に料亭「芙蓉園」の所有となった



穴太衆積みの洞窟
大小の自然石を加工せずに
がっしり組む堅固な構築
映画「プリンセス トヨトミ」の
冒頭のシーンに登場した抜け穴




2017年 11月12日(日) 坂本(滋賀)


<ぶらり旧竹林寺>

比叡山延暦寺・日吉大社の門前町・坂本
元里坊 旧竹林院

里坊は延暦寺の僧侶の隠居所で、今も数多く残されています。
旧竹林院は、こうした里坊のひとつで、邸内には主屋の南西に妬く
3,300uの庭園が広がり、2棟の茶室と四阿があります。
八王子山を借景にした庭園は、地形をたくみに利用しながら滝組と築山を配し、
四季折々の風情をかもし出しています。








秋のライトアップも幻想的です!




旧竹林院
里坊のひとつで、
延暦寺の中でも格式の高い寺院
八王子山を借景、
大宮川の水を引き込んだ回遊式庭園



日吉大社(山王鳥居)
比叡山の麓に鎮座する日吉大社は、
およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、
全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮。
3000本のもみじがあり、
関西屈指の紅葉名所として知られています



日吉大社(西本宮)
本殿は1586年の造営で、日吉造と呼ばれる
独特の形で造られています。
(祭神:田心姫神 旧称:聖真子)



日吉大社(東本宮)
本殿は1595年の造営で、日吉造と呼ばれる
独特の形で造られています。
(祭神:大山咋神 旧称:二宮)



穴太衆積みの洞窟
<穴太衆積みの石垣>
大小の自然石を加工せずに
がっしり組む堅固な構築




2016年 11月26日(土) 坂本(滋賀)


<ぶらり坂本>

<西教寺>

西教寺は、天台真盛宗の総本山。
正式名を戒光山兼法勝西教寺。

聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、
慧聡のために創建されたと伝えられています。
その後、久しく荒廃していましたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。
恵心僧都も入寺、修業されたところから次第に栄えるようになりました。
鎌倉時代の正中2年(1325)に入寺された恵鎮(円観)上人は、
伝教大師が畢生の事業として提唱された大乗円頓戒を復興、
その後百有余年を経た文明18年(1486)に真盛上人が入寺されるに至り、
堂塔と教法を再興、不断念仏の道場とされました。
以来全国に約四百余りの末寺を有する総本山となりました。

<紅葉>

紅葉(こうよう)は、一般的に、落葉広葉樹の葉が、赤や黄色に色づくことを言います。
木の葉が紅くなることを「紅葉」、黄色くなることを「黄葉」と区別することもありますが、
両方含めた意味で「紅葉(こうよう)」が使われることも多いです。
一方、紅葉(もみじ)は、広い意味の紅葉(こうよう)の中で、
楓の葉が紅く色づいた(ひときわ紅色の目立つ)ものが、
紅葉(もみじ)だそうです。


   

久しぶりにリフレッシュできました!




西教寺(山門)
信長の比叡山焼討ちの際(1571)に炎上。
その直後に築かれた坂本城の城主
となった明智光秀は西教寺の檀徒となり、
復興に大きく力を注ぎます。

天正10年(1582)にこの世を去った光秀は、
6年前に亡くなった内室熙子や
一族の墓とともに境内の片隅に
ひっそりと眠っています。

西教寺(本堂)
総欅入母屋造。
江戸時代 元文4年(1739)に上棟落成。
用材は紀州徳川家からの寄進、
正面の欄間(十六羅漢)や
須弥壇はすべて欅の素木造で
江戸初期の特色を表す豪華な
装飾が施されています。

西教寺(大本坊)
この庭園は裏山の急傾斜の
山畔部を巧みに利用し、
丸刈角刈の小刈込を駆使した観賞庭園



客殿庭園(小堀遠州作)

盛安寺(穴太の石積み)
穴太(あのう)の里の盛安寺
穴太積みは、穴太の石工集団が積んだ
石垣のことを云いますが、
自然石を積み上げる野面積みです。



盛安寺(本堂)
天智天皇の勅願によって建てられた
崇福寺伝来の十一面観音像は平安時代の作。
十一面観音には、珍しい四臂の像で、
第一手は合掌し、左の第二手は錫杖を、
右の第二手は蓮華を持っています。



滋賀院門跡
江戸時代末まで天台座主となった
皇族代々の居所であったため
高い格式を誇り、
滋賀院門跡と呼ばれます。



滋賀院庭園(小堀遠州作)



2016年 11月26日(土) 坂本(滋賀)


<ぶらり日吉大社>

比叡山の麓に鎮座する日吉大社は、
およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された、
全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮です。
平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、
都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは
天台宗の護法神として多くの方から崇敬を受け、今日に至っています。


日吉大社には3000本のもみじがあり、関西屈指の紅葉名所として知られています。

   

   

秋のライトアップは、無料でした!




山王鳥居
日吉大社のシンボルともいえる鳥居。
鳥居上部には合掌の形を 表す束があり、
「合掌鳥居」とも呼ばれ、
神仏習合の信仰を伝えています。

西本宮楼門
西本宮楼門屋根下の四隅には
お猿さんの彫刻があります。


棟持猿(むなもちざる)

西本宮
本殿は1586年の造営で、
日吉造(ひえづくり)と呼ばれる独特の形
で造られてい ます。

二宮橋
日吉三橋のひとつ。
東本宮(旧称:二宮)に向かう橋。
現在は山王祭の時にのみ
渡ることができる橋です。

東本宮
本殿は1595年の造営で、
日吉造(ひえづくり)と呼ばれる独特の形
で造られてい ます。



2016年 11月26日(土) 坂本(滋賀)


<ぶらり旧竹林寺>

比叡山延暦寺・日吉大社の門前町・坂本
元里坊 旧竹林院

里坊は延暦寺の僧侶の隠居所で、今も数多く残されています。
旧竹林院は、こうした里坊のひとつで、邸内には主屋の南西に妬く
3,300uの庭園が広がり、2棟の茶室と四阿があります。
八王子山を借景にした庭園は、地形をたくみに利用しながら滝組と築山を配し、
四季折々の風情をかもし出しています。
紅葉の時期はライトアップされます



秋のライトアップは、無料でした!




旧竹林院
天正20年(1592)比叡山延暦寺の
隠居屋敷として建立



主屋と四阿(あづまや)

旧竹林院(庭園)
穴太衆積石垣を採用、
八王子山を借景、
大宮川の水を引き込んだ回遊式庭園


当時(江戸時代)では珍しい金属製の灯篭

旧竹林院(庭園)



主屋の2階からのライトアップされた眺め



2015年 12月29日(火) 坂本(滋賀)


<ぶらり日吉大社>

大津市坂本にある日吉大社は、全国3800社といわれる
山王系神社(日吉神社、日枝神社、山王神社など)の総本宮である。
日吉大社は大山咋神(東本宮)、大巳貴神(西本宮)の二神をを祀る。

日吉大社の祭神、大山咋神(オオヤマクイノカミ)は、「山王権現」とも称される。
また比叡山の地主神でもあり、山王と比叡山のイメージから「猿」が神使とされた。


神猿

「見ず聞かず言わざる」三つのさるよりも思わざるこそまさるなりけり。
神様のお使いである「神猿(まさる)」は、「摩が去る」「何よりも勝る」
として、大変縁起のよいものとされてきました。

 

2016年も宜しくお願い致します!




一の鳥居 (日吉大社)
日吉大社は、滋賀県大津市坂本にある神社。
日吉・日枝・山王神社の総本社である。
通称として山王権現とも呼ばれる。

山王とは山の神を意味し、
また日吉=日枝で比叡山のことをいう。



西本宮 楼門 (日吉大社)
西本宮楼門屋根下の四隅の
「棟持猿(むなもちざる)


.本家鶴喜そば本店
比叡山麓の城下町「坂本」の名物と言えば
本家鶴喜そばの本格手打ちそば。
鶴屋喜八の味を受け継ぎ
創業300年の伝統を守る老舗のそば店です。



2015年 11月14日(土) 坂本(滋賀)


<ぶらり坂本>

比叡山延暦寺の門前町として栄えた坂本には
約50ヵ寺の里坊があります。
里坊は、山上での修行を終えた老僧に与えられた坊舎で、
いずれの里坊にも自然石を用いたり、
借景などの趣向を凝らしたみごとな庭園があり、
サツキ、紅葉、苔などが美しい色合いを見せています。


穴太衆積み

里坊のまちを歩くと、
穴太衆積みの石垣が美しいまちの景観をつくりだしていることに気づきます。
 「石の声を聴き、石に従う」といい、
自然石を巧みに組み合わせて石垣をつくる穴太衆積みの技法もまた、
比叡山延暦寺や坂本の歴史とともに育まれました。
そしてそれを生み出した穴太衆のルーツは古代にあります。
 坂本の隣町・穴太一帯には、6〜7世紀前半のオンドル遺構をはじめ、
その西方の山麓一帯にある横穴式石室墳からなる穴太古墳群が遺されています。
これらは、花崗岩を使用した野面石(山野に転がっている自然石のこと)
の乱積み構架法からなるもので、
その構造は朝鮮半島の高句麗や百済に見られるとともに、
石の配置の方法が穴太衆積みによく似ているといわれます。
こうしたことから、穴太の地に集中する特異な横穴石室の造成は、
朝鮮半島から伝来した技術によるものであり、
後世に穴太衆と呼ばれるようになる技術者集団によって作られたと考えられています。
 穴太に多く見られる石積みの技法は、
比叡山延暦寺や坂本の歴史とともにさらに高度なものに磨かれていきます。

  


久しぶりにリフレッシュできました!



旧竹林院
八王子山を借景にした庭園は、
地形をたくみに利用しながら滝組と築山を配し、
四季折々の風情をかもし出しています。


穴太衆積みの洞窟(旧白毫院)
穴太(あのう)積みというのは、
滋賀県の大津市坂本近くにある
穴太の石工集団が積んだ石垣
のことを云いますが、
基本的には自然石を積み上げる野面積み。

西本宮 楼門 (日吉大社)
日吉大社は、滋賀県大津市坂本にある神社。
日吉・日枝・山王神社の総本社である。
通称として山王権現とも呼ばれる。



西本宮 本殿(日吉大社)
西本宮の祭神・大己貴神については、
近江京遷都の翌年である天智天皇7年、
大津京鎮護のため
大神神社の神が勧請されたという。
以降、元々の神である大山咋神よりも
大己貴神の方が上位とみなされるようになり、
「大宮」と呼ばれた。

大宮橋(日吉大社)
国指定重要文化財
日吉三橋のひとつ。
西本宮(旧称:大宮)に向かう橋。
三橋の中で最も豪華な造り。