出張先での雑記帖



上野
Ueno


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2021年 12月 4日(土) 上野(東京)

<ぶらり上野>

「上野恩賜公園(上野公園)」には、幕末の武士であり、政治家、軍人でもあった
西郷隆盛を讃えることを目的に建立された「西郷隆盛像」があります。
高さ370.1センチメートルの堂々たる体躯で、
しっかりと前を見据える姿は、上野のランドマーク、また東京のシンボルとして
人気を集めるスポットとなっています。


西郷の座右の銘「敬天愛人」
「道は天地自然の物にして、人は之を行うものなれば、天を敬するを目的とす。
天は人も我も、同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也」


 

牡丹の花は「富貴」の象徴で、「百花の王」と呼ばれているそうです。


唐門(上野東照宮)
徳川家康公(東照大権現)をお祀りする神社
家康公の遺言で1627年に創建され、
1651年に三代将軍・徳川家光公の命により
豪奢な建物に建て替えられた。



拝殿(上野東照宮)
扉部分にはお寺でよく見られる
「法輪」があしらわれており、
仏教と関わりの強い神社であること
を物語っている。



五重塔(上野東照宮)
上野東照宮の一部として、
1631年に土井利勝によって創建



栄誉権現社(御狸様)
タヌキは「他抜(他を抜く)」ということで、
強運、受験や就職、必勝の神様
として信仰されている



清水観音堂
寛永寺を開創した天海僧正が
京都清水寺を模して1631年に創建
歌川広重が『名所江戸百景』で描いた
松のモデル(月の松)




2019年 2月 18日(月) 上野(東京)

<ぶらり上野>

上野東照宮ぼたん苑(冬ぼたん)>

牡丹には二期咲き(早春と初冬)の性質を持つ品種があり、
このうち冬咲きのものが寒牡丹と呼ばれています。

寒牡丹の花は自然環境に大きく左右され、着花率が低く、二割以下といわれています。
そこで、花の少ない冬にお正月の縁起花として
抑制栽培の技術を駆使して開花させたものが冬牡丹です。

春夏に寒冷地で開花を抑制、秋に温度調整し冬に備えるという作業に丸二年を費やし、
厳寒に楚々とした可憐な花をつけます。

  

  

牡丹の花は「富貴」の象徴で、「百花の王」と呼ばれているそうです。


上野東照宮(唐門)
社殿を囲う透塀との間にある柱の内外4額面には
左甚五郎の作と伝えられる
昇り龍と降り龍が嵌め込まれている。



昇り龍・降り龍の彫刻

本堂(金色堂)
1627年、家康の死後から約10年近く経ったのち、
津藩主藤堂高虎と
天台宗僧侶天海僧正により創立
現存する社殿は1651年に
三代将軍・徳川家光公が造営替




2017年 3月 7日(火) 上野(東京)

<ぶらり上野>

上野は、美術館や博物館などの文化施設や、
芸術系の大学などがある、文化の香り漂うエリア。
その一方で、上野駅から不忍池までは恩賜公園の緑溢れる一帯が広がります。

パンダのいる動物園や、桜の名所としても人気の恩賜公園を出て御徒町方面へ歩くと、
アメ横商店街やジュエリー問屋街などの個性的で活気のある商店街が続きます。
寄席や落語など、日本の伝統芸能に触れることができるスポットも。
また、とんかつやうなぎなどの和食や昔ながらの洋食の老舗が多く、
人々に親しまれ続けている「ちょっと贅沢」な味が楽しめるのも魅力です。



久しぶりにリフレッシュできました!


国立西洋美術館(南西部)

国立西洋美術館は、
ル・コルビュジエが設計した
国内唯一の建造物


フランス語で建物を支える杭(ピロティ

上野東照宮(社殿)
上野恩賜公園内にある神社。
正式名称は東照宮であるが、
他の東照宮との区別のために
鎮座地名をつけて上野東照宮と呼ばれる。



銅灯籠

西郷隆盛像
西郷隆盛の銅像は
上野公園のものだけではなく、
鹿児島県の鹿児島市と霧島市にもあります。

上野は、彰義隊(徳川幕府を警護する部隊)が
明治政府と戦った「上野戦争」が行われた場所。
明治維新の最大の功労者である西郷を
逆賊として死なせてしまったことを償うために、
皇室の御用地である上野に建てて西郷を顕彰し、
公的に彼を弔うという意味も込めて、
上野公園にも建てられたそうです。

上野大仏
寛永8年(1631)に初建された上野大仏だが、
関東大震災により首が落ち、
第二次世界大戦の時、
軍の供出令により胴体部分を徴用されて、
顔のみが残され元の大仏殿の跡地に
パゴダ(仏塔)が建立されたが
何とも奇妙な大仏である。



2016年 12月 14日(水) 上野(東京)

<ぶらり上野>

<世界文化遺産>

ユネスコ第40回世界遺産委員会は、
2016年7月17日、フランス政府が日本を含む7か国と共同で推薦していた
「ル・コルビュジエの建築作品」につき、世界文化遺産への登録を決定した。
構成資産は、国立西洋美術館を含む7か国17作品で、
正式名称は「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」
国境をまたいだ世界遺産(トランス・バウンダリー・サイト)としては、日本では初登録、
大陸をまたいだ世界遺産(トランス・コンチネンタル・サイト)としては世界で初登録となった。

ル・コルビュジエ

20世紀以降の建築に多大な影響を与えたル・コルビュジエ
ル・コルビュジエは、鉄筋コンクリートによるフレーム構造でスラブ(床板)、
柱、階段が建築の主要素だとするドミノシステム、
近代建築を成り立たせるための近代建築の5原則
(ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な正面)
人体の寸法と黄金比率から考え出した基準寸法であるモデュールなど提案し、
20世紀以降の建築・デザインに多大な影響を与え、数多くの作品を残した。
ル・コルビュジエ作品は、世界で約70作品が現存している。

国立西洋美術館

国立西洋美術館:ル・コルビュジエが設計した国内唯一の建造物
国立西洋美術館は、ル・コルビュジエが設計した国内唯一の建造物(1959年竣工)。
ピロティー、スロープ、自然光を利用した照明など
ル・コルビュジエの建築的な特徴がよく表現されている作品で、
日本の戦後建築に大きな影響を与えた。
また国立西洋美術館は、ル・コルビュジエが長年追求してきた「無限に成長する美術館
(美術作品が増えても必要に応じて外側へ増築して展示スペースを確保できる美術館)」
構想を実現した美術館の一つでもある。



素晴らしいですね。


国立西洋美術館(南西部)
地上3階、地下1階、塔屋1階
設計はフランスの建築家
ル・コルビュジエ(Le Corbusier)


前庭のオーギュスト・ロダンの「考える人」

ピロティー(柱)
エントランスホールは
円柱で支えられた空間(ピロティ)が広がり、
ゆとりとやすらぎを感じさせてくれている。

外壁に貼られているパネルは、
建物の高さを強調するため、上層になるにつれ
垂直方向の寸法が短くなっている



ギ国立西洋美術館(正面))

19世紀ホール
2層分の吹き抜けの空間で、
シャープなデザインの三角形の窓から
柔らかな自然光が取り込まれている。


常設展示室(2F)
吹き抜けの「19世紀ホール」
を囲むように回廊空間になっていて、
天井は高い部分と低い部分があり
空間に変化をもたらしている。



2016年 2月 23日(火) 上野(東京)

<ぶらり上野>

上野東照宮ぼたん苑(冬ぼたん)>

牡丹には二期咲き(早春と初冬)の性質を持つ品種があり、
このうち冬咲きのものが寒牡丹と呼ばれています。

寒牡丹の花は自然環境に大きく左右され、着花率が低く、二割以下といわれています。
そこで、花の少ない冬にお正月の縁起花として
抑制栽培の技術を駆使して開花させたものが冬牡丹です。

春夏に寒冷地で開花を抑制、秋に温度調整し冬に備えるという作業に丸二年を費やし、
厳寒に楚々とした可憐な花をつけます。



牡丹の花は「富貴」の象徴で、「百花の王」と呼ばれているそうです。


上野東照宮
正式名称は東照宮であるが、
他の東照宮との区別のために
鎮座地名をつけて上野東照宮と呼ばれる。


唐門の頭貫木鼻

本堂(金色堂)
社殿を囲う透塀との間にある柱の内外4額面には
左甚五郎の作と伝えられる
昇り龍と降り龍が嵌め込まれている。



唐門と透塀



2013年 4月 19日(金) 上野(東京)

<ぶらり上野>

上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)は、東京都台東区にある公園。通称上野公園。
「上野の森」とも呼ばれ、武蔵野台地末端の舌状台地「上野台」に公園が位置することから、
「上野の山」とも呼ばれる。


上野東照宮ぼたん苑

上野東照宮ぼたん苑は1980年(昭和55年)に日中友好を記念して開苑しました。
4月中旬からは華鬘草(荷包牡丹)、5月上旬からは数多くの芍薬が見頃をむかえます。

   

牡丹の花は「富貴」の象徴で、「百花の王」と呼ばれているそうです。


上野公園の西郷隆盛銅像
上野公園で最も有名な銅像であろう。
この銅像は高村光雲によって彫られた銅像で
1897(明治30)年に完成した。


試験管を振る野口英世像

不忍池
寛永寺を創建した天海僧正が建立。
創建当時のお堂は戦災で消失し、
現在の堂は昭和
33(1958)に再建したもの。


不忍弁天堂

上野東照宮
東照宮社殿唐門前と参道に、
五十基の銅燈籠が並んでいる燈籠は
神事・法会を執行するとき浄火をもくてきとするもの。
燈籠は上部から、宝珠・笠・火袋・中台・竿・基壇
で構成されている。


上野動物園
上野動物園は、1882(明治15)年に
農商務省所管の博物館付属施設として開園した、
日本で最初の動物園です。


ジャイアントパンダ舎では、
リーリー(オス)とシンシン(メス)を飼育しています。