出張先での雑記帖



宇治
Uzi


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2024年 10月 12日(土) 宇治(京都)

<ぶらり宇治>

川霧が立つ地域はお茶の育成に適しているとされ
川霧は、藤原定頼が
「朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれ渡る瀬々の綱代木」
と詠むなど古代から宇治に伝わる風物詩です。

<宇治デザインマンホール>

宇治駅周辺の歩道に 「宇治橋(三の間)」 「市の木(イロハモミジ)」 「川霧」
が描かれたデザインマンホール蓋が設置されています

豊臣秀吉が宇治川の水を汲んで茶会を開いたという故事に倣って、
宇治橋 「三の間」 からシュロ縄につるした釣瓶で宇治川の清水を汲み上げ竹筒に移し、
献茶の行われる右岸の興聖寺に大切に運ばれるそうです。



ノンビリと散策できました!



茶園
宇治と言えば宇治茶!
市章の周りには
お茶の葉が沢山描かれています。


お茶と宇治のまち歴史公園の「ポケふた」
お茶と宇治のまち歴史公園茶づな
前の歩道に設置されている
「ヤバソチャ」 と 「チャデス」


宇治十帖像前の「ポケふた」
宇治神社前の朝霧橋東側
宇治十帖像前に設置されている
「パッチール」 と 「ヒバニー」



2024年 10月 12日(土) 宇治(京都)

<ぶらり宇治>

紫式部と源氏物語ゆかりの町である宇治市。

「源氏物語と宇治」

藤原道長の娘彰子に女房として仕えていた紫式部が
世界に誇る長編小説「源氏物語」を書いたのは平安時代の半ばの1000年頃。
全編54帖のうち44帖までは光源氏を主人公に華やかな宮廷での恋愛模様を描いたものです。

それに対して最後の十帖は光源氏の子薫君と孫の匂宮の二人の男性と
大君、中君、浮舟の三人の姫君が織りなすしっとりとした悲恋の物語です。
その主要な舞台が宇治の地に設定されていることから「宇治十帖」と呼ばれています。



※大河ドラマ 「光る君へ」 盛り上げって来ましたね!



宇治橋
日本三古橋の一つ
上流側に張り出した「三ノ間」は
守護神「橋姫」を祀った名残り


お茶と宇治のまち交流館 茶づな
光る君へ 宇治 大河ドラマ展
「月夜の陰謀」の中で描かれた
まひろと道長の往復書簡も展示


源氏物語ミュージアム
源氏物語の粋を集めた博物館
光源氏の邸宅であった六条院の縮小模型や
平安貴族の乗り物や調度品を実物大で復元


宇治川太閤堤跡
宇治川の右岸に豊臣秀吉によって
築造された堤跡。水捌けがよいため
茶畑に適しています


宇治上神社
世界遺産「古都京都の文化財」
藤原道長の別荘を頼通が1052年に
極楽浄土を再現した寺院に改修


平等院
世界遺産「古都京都の文化財」
藤原道長の別荘を頼通が1052年に
極楽浄土を再現した寺院に改修



2021年 6月 12日(土) 宇治(京都)

<ぶらり宇治>

宇治神社は明治時代までは隣接する宇治上神社と二社一体で、
それぞれに離宮下社、離宮上社と呼ばれていました。



「みかえり兎」

京都の宇治は昔、「菟道」と書いていました。
(かつては菟道と書いて「うじ」と読んでいました)

祭神の菟道稚郎子命が道に迷った際、
幾度となく振り返りながら道案内したうさぎの逸話が残っており、
みかえりうさぎがいる神社として親しまれているのが宇治神社です。
正しい道、幸せの場所(良縁)へと導いてくれる「みかえり兎」





「中村藤吉平等院店」

宇治川をのぞみ、世界遺産「平等院」の近くで、
多くの文人・墨客・政財界の方たちに愛された旅館「菊屋萬碧楼」を改修し、
初代内閣総理大臣伊藤博文命名の「迎鶴楼」の外観はそのままに、
内装のみをモダンに改装




久しぶりにリフレッシュできました!



手水舎(宇治神社)
みかえりウサギの故事から、
ウサギがシンボルとなっています


神使である兎の手水舎

一の鳥居(宇治神社)
檜皮葺・入母屋造妻入で
軒唐破風の付いた
三間四方の舞殿風拝殿(桐原殿)


二の鳥居(宇治神社)
銅板葺・平入切妻造の
中門(拝所)と透塀


本殿(宇治神社)
鎌倉時代初期の建造物で
三間社流れ造り桧皮葺きの本殿



2021年 6月 12日(土) 宇治(京都)

<ぶらり宇治>

■世界文化遺産(宇治上神社)

宇治上神社は明治時代までは隣接する宇治神社と二社一体で、
それぞれに離宮上社、離宮下社と呼ばれていました。

平朝日山のふもとにひっそりと佇む宇治上神社。
本殿と拝殿が日本で現存する最古の神社建築です。
宇治上神社は平等院鳳凰堂がある方角に向けて同時期に建てられており
平等院鳳凰堂の鎮守社として崇拝されてきました。

周辺は宇治の美しい自然に囲まれ、どこか荘厳な雰囲気が漂います。
境内はこぢんまりとしていていることから
「世界一狭い世界遺産」と称されることも・・・



久しぶりにリフレッシュできました!



拝殿
平安時代の貴族の住宅様式である
「寝殿造」
神社の拝殿として現存最古のもの


円錐形に盛られた清め砂

本殿
国内に現存する最古の神社建築
左殿・中殿・右殿の内殿三棟を
覆屋で囲んでいる特殊な形式


本殿(流造)
本殿の屋根を側面から見ると
三角形の形をしているわけですが、
それが前後対称ではなく、
前の方に長く流れている造り
となっています

桐原水
宇治七名水の中で
唯一失われていない湧き水


岩神様
しめ縄を巻いた巨石
天降石や岩神様(岩神さん)の
愛称で呼ばれています



2021年 6月 12日(土) 宇治(京都)

<ぶらり宇治>

■世界文化遺産(平等院)
平等院鳳凰堂とは、1053年、平等院創建の翌年に造られた阿弥陀堂のことで、
もともとは阿弥陀堂、御堂と呼ばれていました。
「鳳凰堂」と呼ばれるようになったのは江戸時代ごろからのようです。

京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。
鳳凰堂はいわゆる藤原氏の栄華を今に伝える唯一の遺構だと言われています


建物は池の中島に建てられているため、その姿が水面に浮かぶように見えます。
まるで極楽浄土の宮殿が池に浮かんでいるように見える造りとなっているのです。
さらに晴天の時には池には鳳凰堂の姿が映り込み、幻想的な景色が現出します。



久しぶりにリフレッシュできました!



平等院鳳凰堂
関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から
譲り受けた別業を、
その子頼通が永承7年(1052)にこれを
仏寺に改め、平等院としました。


浄土式庭園
浄土の世界をこの世にあらわした
庭園の姿は
浄土式庭園と呼ばれます


梵鐘
天下の三名鐘
(音の三井寺、銘の神護寺、姿形の平等院)
平等院の梵鐘はその姿の美しさで有名


観音堂
鎌倉時代前期に創建当時の
本堂跡に再建された建物


扇の芝

浄土院
平等院の塔頭(大寺に所属する別院)
の一つで、1439年の創設。


救世船乗観音
旅の安全を祈願する救世船乗観音像



2016年 3月 5日(日) 宇治(京都)

<ぶらり宇治>

■世界文化遺産
平等院は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。
平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、
「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。
山号を朝日山と称する。
宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、
現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている




久しぶりにリフレッシュできました!



平等院
関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から
譲り受けた別業を、
その子頼通が永承7年(1052)にこれを
仏寺に改め、平等院としました。


鳳凰像

浄土院
平等院の塔頭(大寺に所属する別院)
の一つで、1439年の創設。


上林記念館
宇治は、天領と御茶師の町であった。
その町を代表するのは、宇治郷代官であり
御茶師の頭取である上林家であった。
豊太閤のころ上林掃部は、
千利休の点てる茶を造ったのである。
そして掃部久重の弟竹庵が
慶長五年伏見城で軍功を挙げたところから、
その家流において上林一族が、
交互に御茶師の支配に
当たることになったという。