出張先での雑記帖



柳川
Yanagawa


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2023年 8月 1日(火) 柳川(福岡県)

<ぶらり柳川>

柳川市は市全体に「堀」が大規模に巡る「水郷のまち」です。
これはもともと海に近い低くじめじめした湿地帯に「堀」を掘り、
掘り起こした泥を盛り上げて乾田をつくり、「堀」は貯水池として生活用水、
農業用水、さらには地下水を涵養し地盤沈下を防ぐなど、
他に代替できない機能で、柳川の人々の生活、柳川土地全体を支えてきました。
柳川の光や緑をそのまま水面に映し、清らかなやさしい水の流れであっても、
力強く私たちを支えてくれる 「堀割」を船頭さんのさす竿に任せてめぐっていく、
ひとときの舟旅が柳川の川下りです。




<うなぎのせいろ蒸し>

柳川といえば 「うなぎのせいろ蒸し」 が有名。
その料理を生み出したのが
創業から300年以上暖簾を守り続けている「元祖 本吉屋」
タレをまぶしたご飯を蒸し、
蒸しあがったごはんの上に焼き上げたうなぎの蒲焼をのせ、
うなぎと味の合性がよくしかも色添えにもなる金糸卵をあしらって、
もう一度蒸します。
余分な油が落ちさっぱりとした味でうなぎの旨味が染み込んだほくほくのご飯です!



40℃近くの酷暑・・・暑かった・・・でも美味かった!



柳川掘割
網網目のように張り巡らされた水路
地元では「掘割」と呼ばれています。


元祖 本吉屋
茅葺屋根が特徴的な
1681年創業の「元祖 本吉屋」
「うなぎのせいろ蒸し」発祥のお店



柳川よかもん館(日本一の巨大さげもん)
「柳川よかもん館」に展示された
長さ約4メートルの巨大さげもん



2012年 2月12日(日) 柳川(福岡県)

<ぶらり柳川>

柳川市は、筑後地方の主要都市の1つ。
市内を掘割が縦横に流れることから水の都と呼ばれ、
筑後地方南西部における商業の中心地であるとともに、鰻料理、掘割を使った川下り、
旧藩主立花氏の別邸「御花」が全国的にも有名。

柳川市は市全体に「堀」が大規模に巡る「水郷のまち」です。
これはもともと海に近い低くじめじめした湿地帯に「堀」を掘り、
掘り起こした泥を盛り上げて乾田をつくり、「堀」は貯水池として生活用水、
農業用水、さらには地下水を涵養し地盤沈下を防ぐなど、
他に代替できない機能で、柳川の人々の生活、柳川土地全体を支えてきました。
柳川の光や緑をそのまま水面に映し、清らかなやさしい水の流れであっても、
力強く私たちを支えてくれる 「堀割」を船頭さんのさす竿に任せてめぐっていく、
ひとときの舟旅が柳川の川下りです。




<さげもん>

「さげもん」とは、旧柳川藩時代に女の子が生まれた時、
親戚、知人から贈られた着物のはぎれで、
この子が一生幸せでありますようにと祈りを込めて、
縁起のよい「鶴」「兎」「宝袋」「三番鼠」「這い人形」など
一針一針縫い上げた手作りの布細工と鮮やかな七色の糸で巻いた
柳川地方伝統の大まりを下げ輪の中央に、
小まりと縫いぐるみを交互に下げ輪につりさげたものです。



久しぶりにリフレッシュできました!



柳川の川下り
柳川の川下りは「お堀めぐり」です。
現在の乗船場がある「松月文人館」は、
明治中期の建物で、北原白秋の詩集「思ひ出」
にもうたわれた白秋ゆかりの場所です。

ここから「どんこ船」がゆっくりと漕ぎ出し、
柳川観光の第一章が始まります。

御花(松濤園)
勇将として名高い初代藩主・立花宗茂から
幕末まで、柳川藩11万石を治めた
立花家の歴史が息づく名勝。
元文3年(1738)から「御花畠」と呼ばれる
藩主別邸が設けられていた地に、
明治43年(1910)、伯爵となった
立花家により邸宅と庭園「松濤園」
が造られました。

旧戸島家住宅と庭園
寛政年間(1789〜)に築造され、
藩公の茶室となっていたもので、
建物は県文化財の指定を受けています。

また築山山水の美しい庭園は
国の名勝に指定されています。

白秋生家
明治・大正・昭和と生き、
日本の近代文学に偉大な足跡を残した
詩人北原白秋は、代々柳川藩御用達の
海産物問屋を営む旧家に生まれました。

「水郷柳川は、我詩歌の母体である」と述べ、
57才で亡くなるまで生涯柳川を愛し、
数多くのすぐれた詩を残しました。