出張先での雑記帖



会津若松
Aizuwakamatsu


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2024年 8月 20日(火) 会津若松(福島)

<ぶらり会津若松>

約3年半ぶりの会津です。
今回は、デザインマンホールを求め市内を散策!
(郡山から約1時間です)


<デザインマンホール蓋>

日本全国各地に存在する
各地域独特のデザインを取り入れたマンホールの蓋です。
日本のデザインマンホール蓋は 「路上のアート」 と呼ばれ、
国内だけでなく海外からも注目されています。

会津若松市下水浄化工場には合併した市町村(旧北会津村・旧河東町)の
カラーデザインマンホール蓋も展示されています。



旧北会津村/会津若松市/旧河東町のデザインマンホール蓋



柳津町/会津坂下町/会津高田町の蓋もゲットしました!



マンホールにハマれば大変ですが・・・マンホールの蓋にハマっています・・・



あやめ苑東屋(伊佐須美神社)
福島応援ポケモン(ラッキー)
ドレディアとあやめ苑
が描かれた「ポケふた」



会津総合運動公園
福島応援ポケモン(ラッキー)
エルレイドと鶴ヶ城(会津若松城)
が描かれた「ポケふた」


道の駅会津柳津
福島応援ポケモン(ラッキー)
ピンプクと只見川
が描かれた「ポケふた」




2024年 8月 20日(火) 会津若松(福島)

<ぶらり会津若松>

会津若松市のシンボルである鶴ヶ城

幕末の戊辰戦争では新政府軍の猛攻に耐え難攻不落の名城と称えられましたが
1874年に政府の命令により取り壊され、現在の天守は1965年に再建。

1999年には天守に続く建物「干飯櫓・南走長屋」を復元。
2011年には黒瓦から赤瓦へのふき替えが完了し幕末当時の姿を再現し、
現存する天守閣では国内唯一の赤瓦の天守となっています。

城の建物には黒い土瓦が用いられるのが一般的ですが、
会津のような豪雪地域では凍み割れてしまうため、
瓦に水分が染み込まないよう鉄分入りの釉薬を施釉しています。
そのため、焼き上がりが赤くなります。


天守閣の石垣は蒲生氏郷が築いたもの。
「野面積み」という石の積み方で自然石を組み合わせて積み上げます。
傾斜が緩やかで、裾野が広いのが特徴です。





のんびりと散策することができました!



野口英世青春通り
手の手術を受け書生として3年間を
過ごした「會陽医院」前の通りを
1992年に野口英世青春通りと命名



野口英世青春館と福西本店

野口英世青春館
1884年に建てられた蔵造りの洋館
會陽医院の建物を
「野口英世記念館・会津壹番館」として
そのまま残した資料館


福西本店
会津若松の大商人福西家が
明治/大正/昭和それぞれに建てた
蔵と商家建築



伊佐須美神社
会津地名発祥の由来を伝える
岩代国一之宮・会津の総鎮守



道の駅会津柳津
奥会津への玄関口に位置し
赤べこ伝説発祥の地として知られる
福島県柳津町



ラッキー公園 in やないづまち
道の駅 会津柳津の芝生広場
ふくしま応援ポケモン「ラッキー」
をモチーフにした公園




2020年 12月 2日(水) 会津若松(福島)

<ぶらり 会津若松>

3年ぶりの会津です。
今回は、16:00から評議委員会のため少しだけ鶴ヶ城を散策!
(郡山から約1時間です)


2013年の大河ドラマ『八重の桜』の舞台として、
一躍注目を集めた福島県の会津若松市
国内唯一の赤瓦の天守「鶴ヶ城(若松城跡)」です。

難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、
戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月、城は落ちなかったそうです。

瓦が赤いのは、
瓦を焼くときに表面にかけられる釉薬にひと工夫されているから。
城の建物には黒い土瓦が用いられるのが一般的ですが、
会津のような豪雪地域では凍み割れてしまうため、
瓦に水分が染み込まないよう鉄分入りの釉薬を施釉しています。
そのため、焼き上がりが赤くなります。



桜の時期にまた、訪れたい街です!



磐梯山

猪苗代町・磐梯町・北塩原村の
3町村にまたがる山。
会津富士とも呼ばれています。


会津若松城(鶴ヶ城)

平成23年に幕府時代の赤瓦で再現した
鶴ヶ城へとリニュアール
日本で唯一の赤瓦天守閣


赤瓦(鶴ヶ城)

瓦が寒さで度々しみわれてしまうことから
江戸中期頃に、しみわれに耐性のある
赤瓦が葺かれるようになったそうです。


茶室(麟閣)

会津若松の繁栄を担った蒲生氏卿は、
利休の子供である千小庵を会津に招いて
茶道復興に力を注いだそうで、
その際に千小庵が鶴ヶ城内に建てた
茶室が茶室麟閣です。



2017年 9月 18日(月) 会津若松(福島)

<ぶらり 会津若松>

まちなか周遊バス 「ハイカラさん」 で観光地巡り。

会津若松市内の観光スポットめぐりにとっても便利な「ハイカラさん」。
30分に1本程度の間隔で運行しており、
飯盛山や鶴ヶ城など市内の有名観光地を巡ってくれる、
大変便利な周遊バスです。

  

桜の時期にまた、訪れたい街です!




野口英世青春館・会津壹番館

医師の道を志すきっかけになったのが、
幼少のころに負った手の大やけどでした。
やけどのためくっついてしまった
指を治す手術を行ったのが、
ここ会津若松の「会陽医院」です。


会津若松城(鶴ヶ城)

平成23年に幕府時代の赤瓦で再現した
鶴ヶ城へとリニュアール
日本で唯一の赤瓦天守閣


茶室(麟閣)

会津若松の繁栄を担った蒲生氏卿は、
利休の子供である千小庵を会津に招いて
茶道復興に力を注いだそうで、
その際に千小庵が鶴ヶ城内に建てた
茶室が茶室麟閣です。


御薬園

室町時代に葦名盛久が霊泉の湧きだした
この地に別荘を建てたのがはじまりです。
「御薬園」の名の通り、
この庭園では会津産のものを含めて
400種もの薬草が育てられています。


会津武家屋敷

江戸時代末期、
会津藩第9代藩主松平容保の
家老を務めていた西郷頼母の屋敷を中心に
、陣屋や茶室、資料館が立ち並んだ観光地


白虎隊十九士の墓

白虎隊自刃の地、飯盛山
戊辰戦争で忠誠心から自害した
10代の若き少年白虎隊19隊士の墓所


さざえ堂
正式名所は「円通三匝堂」ですが、
螺旋状の階段がくるくると続いているさまが
さざえ貝を思わせるため、
さざえ堂と呼ばれています。
二重らせん構造が世界的にも珍しい建築様式。



旧滝沢本陣

戊辰戦争時には本陣営となり、
あの白虎隊もここで命令を受けて
戦場に出陣



2015年 11月 29日(日) 会津若松(福島)

<ぶらり会津若松>

郡山からレンタカーで猪苗代湖を一周。

野口英世記念館に立ち寄り、会津若松に到着。

地元では鶴ヶ城と言うが、同名の城が他にあるため、
地元以外では会津若松城と呼ばれることが多い。
文献では旧称である黒川城、または単に会津城とされることもある。
国の史跡としては、若松城跡(わかまつじょうあと)の名称で指定されている。

鶴ヶ城を散策し、南ルートで福島空港に向かいました。  

桜の時期にまた、訪れたい街です!



鶴ヶ城(会津若松城)
難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、
戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に
籠城一ヵ月、城は落ちなかった。
至徳元年(1384)葦名直盛がはじめて館を築き、
改修を経て天下の名城となった。


天守閣の赤瓦

茶室(麟閣)
千利休が秀吉の怒りに触れて死を命じられ、
千家が茶の湯の世界から追放された折り、
蒲生氏郷は利休の茶道が途絶えるのを惜しんで
その子、少庵を会津にかくまっている間に建立。


東日本では珍しい草庵風の茶室

会津葵シルクロード文明館
会津葵本店に近接する
會津葵シルクロード文明館は、
海と陸のシルクロードより集めた
美の遺産を展示した、
煉瓦蔵の小さな美術館です。

會津葵のはるかな旅、
海と陸のシルクロードを、
たっぷりとお楽しみ下さい。



2013年 5月 19日(日) 会津若松(福島)

<ぶらり会津若松>

平成25年大河ドラマ「八重の桜」
舞台は福島県 そして 鶴ヶ城
主人公は、会津ゆかりの 新島八重
『幕末のジャンヌ・ダルク』 『ハンサムウーマン』

街中周遊バス「あかべえ」を利用して、のんびり会津若松を散策!

【あいづっこ宣言】
一 人をいたわります
二 ありがとうごめんなさいを言います
三 がまんをします
四 卑怯なふるまいをしません
五 会津を誇り年上を敬います
六 夢に向かってがんばります
やってはならぬ やらねばならぬ ならぬことはならぬものです


「あいづっこ宣言」に込められた内容は、
青少年の行動規範であると同時に、大人の行動規範でもあります。
幼いころに「あいづっこ宣言」を覚え、思春期や青年期には困ったときや苦しいときに思い出し、
親になったときには子育ての柱として、また、大人として人生に悩んだときには生きる力として、
また、孫たちには教え聞かせるなどして、人生のそれぞれの時期に、私たち会津人の心の糧として、
この「あいづっこ宣言」をいかしてほしいと考えています。  



   

街中は「八重の桜」一色でした。桜の時期にまた、訪れたい街です!



鶴ヶ城(会津若松城)
難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、
戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に
籠城一ヵ月、城は落ちなかった。
至徳元年(1384)葦名直盛がはじめて館を築き、
改修を経て天下の名城となった。


天守閣の赤瓦

茶室(麟閣)
千利休が秀吉の怒りに触れて死を命じられ、
千家が茶の湯の世界から追放された折り、
蒲生氏郷は利休の茶道が途絶えるのを惜しんで
その子、少庵を会津にかくまっている間に建立。


東日本では珍しい草庵風の茶室

御薬園
室町時代に葦名盛久が霊泉の湧きだした
この地に別荘を建てたのがはじまり
と言われています。



各種薬草を栽培する薬草園

さざえ堂
会津さざえ堂は、1796年福島県会津若松市の
飯盛山に建立された、高さ16.5メートル、
六角三層のお堂です。
正式名称は「円通三匝堂」といいます。
面六角形の特異な建物で、概ね三層構造
であり、内部には二重らせん構造の斜路が続き、
右回りに上る斜路と左回りに下りる斜路が
別々に存在します。

入口から斜路を最上階まで上り、
他者とすれ違うことなく、別の斜路を降りて
出口から出ることができます。

白虎隊
白虎隊は、会津戦争に際して会津藩が組織した、
16歳から17歳の武家の男子によって
構成された部隊である。



白虎隊像

会津武家屋敷
会津武家屋敷は江戸時代の会津藩家老
西郷頼母の屋敷を中心に、
福島県重要文化財である旧中畑陣屋
や数奇屋風茶室、藩米精米所などの
歴史的建造物が軒を連ねる屋外博物館です。



中畑陣屋