出張先での雑記帖



平泉
Hiraizumi


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2021年 7月 24日(土) 平泉(岩手)

<ぶらり平泉>

■世界文化遺産
平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園および考古学的遺跡群
(中尊寺・毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山で構成される世界遺産)

平泉は、12世紀日本の本州北部において、
仏教に基づく理想世界の実現を目指して造営された政治・行政上の拠点
その拠点に存在する4つの庭園は、奥州藤原氏により、
現世における仏国土(浄土)の象徴的な表現、

つまり池泉・樹林・金鶏山頂と関連して仏堂を周到に配置することにより
実体化した理想郷の光景として造営されました。

4つの庭園のうち3つは、神聖な山である「金鶏山」に焦点を合わせており、
浄土思想の理想と、庭園・水・周辺景観の結びつきに関する
日本古来の概念との融合を例証しています。

奥州藤原氏が地上に表した理想郷の夢の跡(黄金が築いた浄土の国)ですね。

中尊寺

円仁 (慈覚大師) によって850年に開かれたと伝えられる天台宗の寺院
中尊寺というのはこの山全体の総称であり、
本寺である「中尊寺」と山内17ヶ院の支院で構成される一山寺院です。



久しぶりにリフレッシュできました!



表参道(月見坂)
本堂・金色堂へと続く表参道
樹齢300年を超える老杉の杉並木


弁慶堂
源頼朝に追われて平泉に落ち延びた
義経と弁慶にちなんで建てられた
弁慶堂(1827年に建立)


本堂(中尊寺の根本道場)
中尊寺の本堂(1909年に再建)
比叡山延暦寺から分火された
「不滅の法灯」が灯る


金色堂を保護する新覆堂
中尊寺創建当初の姿を今に伝える
唯一の建造物(1124年に上棟)


金色堂旧覆堂
金色堂を風雪から護るために、
1288年に鎌倉幕府によって建立
5間4方の堂


経蔵
中尊寺経を納めるために建立された堂
鎌倉時代の建物だが、
一部には平安時代の古材が使用


白山神社
中尊寺の北方を鎮守するため、
850年に中尊寺を開いた
慈覚大師円仁がこの地に勧請


能楽殿(1853年に再建)



2021年 7月 24日(土) 平泉(岩手)

<ぶらり平泉>

■世界文化遺産
平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園および考古学的遺跡群
(中尊寺・毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山で構成される世界遺産)


毛越寺(もうつうじ)

円仁 (慈覚大師) によって850年に開かれたと伝えられる天台宗の寺院
大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構が
ほぼ完全な状態で保存されています。
日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を今に伝える貴重な庭園として、
現在も、なお変わらぬ美しさを見せています。



久しぶりにリフレッシュできました!



毛越寺
毛越寺最大のみどころは、
平安時代の貴重な浄土式庭園
「毛越寺庭園」です


本堂
毛越寺一山の根本道場である本堂は、
平安様式の建物で1989年に建立


開山堂
毛越寺を開いた
慈覚大師円仁をまつる堂


蓮池
1979年に奈良唐招寺から譲り受け
大泉が池に植えたものの


築山(大泉が池)
大泉ヶ池の南西の隅、
南大門の西寄りにある築山
池水面より約4メートルほどの高さ

水際から山頂近くまで大小各種の石を立て、
岩山の姿を造り出しています。

洲浜(大泉が池)
池の東南隅に築山と対照的に造られた洲浜
砂洲と入江が柔らかい曲線を描き、
美しい海岸線を表しています

出島石組と池中立石(大泉が池)
池の東南岸にある荒磯風の出島

水辺から水中へと石組が突き出し、
その先端の飛び島には
約2mの景石が据えられ、
庭の象徴として
池全体を引き締めています。

遣水(大泉が池)
池の東北側にある遣水は、
池に水を引き入れるためと造られたもので
平安時代から残る貴重な遺構

「作庭記」に記述されている
四神相応・吉相の順流であり、
曲がりくねる水路の流れに、
水切り、水越し、水分けなどの石組が配置



2021年 7月 24日(土) 平泉(岩手)

<ぶらり平泉>

■世界文化遺産
平泉‐仏国土(浄土)を表す建築・庭園および考古学的遺跡群
(中尊寺・毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山で構成される世界遺産)

観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山・高館(義経堂)

奥州藤原氏滅亡後、伽藍が消滅・荒廃し、池は水田化しましたが、
遺跡は良好な状態で保存されています。

中尊寺と毛越寺のほぼ中間に位置する金鶏山は、
都市平泉の空間設計の基準となった信仰の山

毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡の3つが、
神聖な山である金鶏山に焦点を合わせています。

奥州藤原氏が地上に表した理想郷の夢の跡(黄金が築いた浄土の国)ですね。

久しぶりにリフレッシュできました!



観自在王院跡
奥州藤原氏二代基衡の妻によって
造営された寺院の遺跡
大小二棟の阿弥陀堂跡の前面に
舞鶴池を中心にした浄土庭園が広がり、
境内の背後には金鶏山が位置していました。


無量光院跡
奥州藤原氏三代秀衡によって
造営された寺院の遺跡
宇治平等院鳳凰堂を模して
建立された阿弥陀堂と、
その周囲を取り巻く池を中心に
伽藍が構成されていました。


金鶏山
奥州藤原氏がその山頂に
経塚を営んだ信仰の山
平泉を守るため雌雄一対の黄金の鶏を
埋めたという伝説が残っています


山頂の経塚遺跡

千手堂
藤原三代の位牌、秀衡の木像などが
安置されている千手堂


源義経妻子の墓

高館(義経堂)
源義経が最期を迎えた場所
堂創建時に製作された木造の源義経公像