出張先での雑記帖



神田
Kanda


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2021年 8月 1日(日) 神田(東京)

<ぶらり神田>

JR中央線の御茶ノ水駅聖橋口からでて聖橋を渡れば、湯島聖堂と道を挟んで、神田明神、
聖橋から南に向かって少し歩くと、駿河台の丘の上に建つニコライ堂があります。

湯島聖堂

1690年、五代将軍徳川綱吉の命令によって建てられた
孔子廟と朱子学の学問所(1935年再建)
江戸時代は官立の大学のような役割を担い、
明治初期には文部省も置かれていました。
お茶の水女子大や筑波大学の前身となった大学も開かれていた場所で、
日本近代教育発祥の地と呼ばれています。

大成殿の屋上には、鋳銅製の鬼\頭・鬼龍子と呼ばれる守護獣が置かれています。
鬼\頭は、龍頭魚尾、二脚双角で頭を外側に向けて取り付けられていて、
龍頭から鯨のように水を噴き上げています。
鬼龍子は、想像上の霊獣で、孔子のような聖人の徳に感じて現れるといわれています。




神田神社

神田明神の愛称で知られる江戸総鎮守
正式名称は「神田神社」730年に創建
1616年に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座。
総鎮守として江戸の街を見守り続けてきた江戸下町のシンボル

「だいこく様」の愛称で知られる「大己貴命」、
だいこく様と国造りに貢献した「少彦名神」、
関東の英雄「平将門命」の三柱の神様をお祀りしています




※暑くて疲れました!



仰高門
一般見学者用の入り口になる門
平屋の妻造り

入徳門は、聖堂内、唯一の木造建造物
(1704年に建造)


大成殿
大成の意味は、孔子廟の正殿の名称
孔子像の左右に
孟子・顔子・曽子・子思の
四賢人(四哲像)を祀ってある


湯島聖堂
高さ4.75m総重量1.5tの孔子銅像
世界最大の大きさ
櫂の木は、孔子の墓所に植えられている


随神門
「門神」「門守」と呼ばれ、
悪神や鬼の侵入を防ぐ働きを持つ
神社の門番


本殿
「大己貴命」、「少彦名神」、「平将門命」
の三柱の神様をお祀りしています



2016年 6月 11日(金) 神田(東京)

<ぶらり神田>

藪蕎麦は、幕末に名店として有名だった蕎麦店「団子坂蔦屋」の淡路町店を、
初代である堀田七兵衛さんが譲り受けて、開業したのが始まりだそうです。
明治後期になると、団子坂蔦屋が廃業したため「藪蕎麦本店」を名乗るようになります。
藪は、江戸の蕎麦屋の老舗で、「藪」といえば、「更科」、「砂場」と並び、
蕎麦御三家の一つに数えられています。

この店の蕎麦は、緑色をしています。
初代の堀田七兵衛さんが、蕎麦の風味が落ちる夏の時期に、
見た目だけでも客に清涼感を楽しんでもらおうと、
蕎麦の若芽を練り込んだのが始まりだそうです。
現在はクロレラを練り込んで、この色を出しているそうです。




久しぶりにリフレッシュできました!



東京大神宮
「東京のお伊勢さま」
明治13年に創建された
伊勢神宮の遥拝殿が前身となり、
現在の場所に移築されたのは
昭和3年のことになります。


ニコライ堂
ニコライ堂の呼称で親しまれていますが、
正式名称は、
「日本ハリストス正教会復活大聖堂」です。

カサーツキン・ニコライ神父により企画され、
ロシア人建築家シチュールポフの
基本設計を基に、コンドル博士の
実施設計・監督により明治24年(1891)に
完成しました。

神田駅赤レンガガード
ガード下の赤レンガは
明治末期に作られたもので、
特徴的なアーチを描く
高架下にはすっぽりアーチの形に
丸く収まって店や倉庫が並ぶ一角もあります。

さらに車道を跨ぐ橋桁の下には
昔ながらの鉄筋が組まれたままの
風情ある光景です。



2013年 3月 22日(金) 神田(東京)

<ぶらり神田>

JR中央線の御茶ノ水駅聖橋口からでて聖橋を渡れば、湯島聖堂と道を挟んで、神田明神、
聖橋から南に向かって少し歩くと、駿河台の丘の上に建つニコライ堂があります。

湯島聖堂の屋根上には、他の聖・霊獣とともに鬼ギン頭(きぎんとう)と呼ばれる、
シャチホコの一種がある。通常のシャチホコは虎頭魚尾だが、
ここのは、龍頭魚尾で頭から水を噴き上げている。
形態は、一種の鯱(しゃち)型で、龍頭魚尾、二脚双角頭より潮を吹き上げ、
頭を外側に向けて取り付けられている。
鯱が水を噴出して火災から建物を守る目的で置かれたことがよくわかる。



春の陽気に誘われ、たまにはノンビリ散歩も良いですね〜




※桜が満開でした!



神田明神
江戸に鎮座して1300年近くの歴史をもつ神田明神。
江戸時代には、「江戸総鎮守」として
将軍様から江戸庶民にいたるまで
江戸のすべてを守護されました。


湯島聖堂
徳川五代将軍綱吉は、儒学の振興を図るため、
元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して
上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と
林家の家塾をここに移しました。
これが現在の湯島聖堂の始まりです。



鬼龍子と鬼ギン頭

ニコライ堂
正式名称は「東京復活大聖堂」であり、
イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)
の復活を記憶する大聖堂である。

ニコライ堂は、ギリシャ正教とも呼ばれる
正教会の教会です。