出張先での雑記帖



長野
Nagano


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2018年 2月 21日(水) 長野(長野)


<ぶらり 善光寺>

約4ヶ月ぶりの長野です!

これまでは、品川からの日帰りでしたが、
今回は、午前中の会議のため前泊となりました。
駅前のホテルの温泉&郷土料理&またまた善光寺詣りです!





<ごとく亭>

長野駅から徒歩5分!
創業155年・江戸時代安政(徳川家定・家茂)からの老舗郷土料理専門店!
全国放送のTV番組「秘密のケンミンSHOW」 でも
数多く紹介されたことのある信州郷土料理の老舗店。
写真は、郷土料理コース
(お通し・小鉢・馬刺し・珍味・野沢菜・イワナ塩焼き季節の一品・戸隠そば・デザート)
信州産の素材を使い旬の味を生かした自家製料理が味わえます。



※久しぶりに、露天風呂でリラックスできました!


ドーミーイン長野(善光の湯)
北陸新幹線JR長野駅
善光寺口ロータリーより徒歩1分。

大浴場は、
あの信玄公も湯あみをしたと伝わる
長野県内の中尾山温泉からの
運び湯を使用。

善光寺(石畳)
境内地入り口から三門下までの
400メートルに敷かれている石畳は、
正徳四年(1714年)に
江戸中橋の大竹屋平兵衛より
寄進されたものです。
古来より7777枚あるといわれています。


善光寺(仁王門)
仁王門は宝暦二年(1752年)に建立
されましたが、善光寺大地震などにより
二度焼失し、現在のものは
大正七年(1918年)に再建。
善光寺の山号である「定額山」の額


ぬれ仏(延命地蔵)
享保七年(1722年)に善光寺聖・法誉円信が
全国から喜捨を集めて造立した延命地蔵。
六地蔵は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の
6つの世界で我々衆生を救ってくださる菩薩様



善光寺(山門)

寛延三年(1750年)に建立された
二層入母屋造りの門。
「善光寺」と書かれた額は、
通称「鳩字の額」と呼ばれており、
3文字の中に鳩が5羽隠されています。


善光寺(本堂)
江戸時代の宝永4年(1707年)に
5年の歳月を経て完成したもので、
300年の歴史を誇ります。
(撞木造りという独特な建築様式)


善光寺(経蔵)
宝暦九年(1759年)に建立された
宝形造りのお堂です。
内部中央には八角の輪蔵があり
その中には仏教経典を網羅した
『一切経』が収められています。



善光寺(佛足跡)
お釈迦様の足跡を石に刻んだものです。
古代インドで仏像が造られるようになる前から、
お釈迦様を表す象徴として
礼拝の対象とされてきました。




2017年 10月 17日(火) 長野(長野)


<ぶらり 善光寺>

約2ヶ月半の品川出張!
(8月20日から10月18日)

毎週、松本・長野に通いでしたが、
本日で最終となります・・・
そこで、午後からの会議の前後で、またまた善光寺詣りです!





<牛に引かれて善光寺まいり>

(自分の意思ではなく、他の人に誘われてたまたま良い結果が得られること)

昔、信濃国小諸にケチで性根の悪いおばあさんが住んでいた。
ある日、川で布を洗濯して軒先で乾かしていたところ、
一頭の牛が現れて角で布を引っかけ走り出した。
おばあさんはその牛を追いかけ、なんと善光寺まで来てしまったという。
日が暮れて牛が入っていったお堂におばあさんも入ってみると、
光明に照らされて、牛のよだれが
「牛とのみ思いすごすな仏の道に 汝を導く己の心を」と読めた。
するとおばあさんの心に仏の心が芽生え、
すっかり信心深い人間に生まれ変わってしまった。
後日、近くの観音堂を詣でると、
堂内の観音様に牛にさらわれた布がかけてあった。
それを見たおばあさんは、牛と思ったのはじつは仏様の化身と知り、
ますます善光寺への信仰を深めて往生を遂げた。
この仏様こそが実は小諸の布引観音だったという。


※いろいろお世話になりました。有難うございました!


善光寺(仁王門)

仁王門は宝暦二年(1752年)に建立
されましたが、善光寺大地震などにより
二度焼失し、現在のものは
大正七年(1918年)に再建。


ぬれ仏(延命地蔵)

享保七年(1722年)に善光寺聖・法誉円信が
全国から喜捨を集めて造立した延命地蔵。
六地蔵は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の
6つの世界で我々衆生を救ってくださる菩薩様


善光寺(山門)

寛延三年(1750年)に建立された
二層入母屋造りの門。
「善光寺」と書かれた額は、
通称「鳩字の額」と呼ばれており、
3文字の中に鳩が5羽隠されています。


善光寺(本堂)

江戸時代の宝永4年(1707年)に
5年の歳月を経て完成したもので、
300年の歴史を誇ります。
(撞木造りという独特な建築様式)




2017年 10月 17日(火) 長野(長野)


<ぶらり 善光寺>

約2ヶ月半の品川出張!
(8月20日から10月18日)

毎週、松本・長野に通いでしたが、
本日で最終となります・・・
そこで、午後からの会議の前に、善光寺七福神めぐりです!



<善光寺七福神めぐり>

七福神めぐりは、全国的にも数多くありますが、善光寺七福神の特徴は、
既に古くからあるお寺や神社で祭っていた神様で構成されていることです。
善光寺の創建以来1,400年以上の歴史を持つこの門前町の七福神は、
御利益があること間違いなしだそうです。


※いろいろお世話になりました。有難うございました!


寿老人(西光寺)

長寿を象徴した神様で、
老子が天に昇って仙人になったとも伝えられる。
この神様が奉られるかるかや山西光寺は、
善光寺と同じ全国型の信仰を持つお寺


大黒天(大国主神社)

三宝を守り、戦闘を司ったインドの神様。
農産、福徳の神様と崇められている。
大国主神社は、西山街道沿いに
建てられていたものと考えられる。


福禄寿(秋葉神社)

幸福、財産、長寿を授ける神様。
秋葉神社は、火伏せの神の三尺坊という
天狗の神様を奉っており、
この三尺坊も幸福、財産、長寿を授ける
ことから福禄寿の化身とされている。



弁才天(蓮池山往生院)

七福神の中で唯一女性の神様で、
琵琶を弾く姿から芸能の神としても
信仰されている、
ここ権堂という土地柄もあり、
多くの芸妓から信仰を集めていた。


布袋(御本陳藤屋)

中国に実在したお坊さんで、
いつも大きな袋を背負っていたので、
その名で呼ばれた
。ふくよかで円満な姿から
福の神として信仰されている。


恵比寿(西宮神社)

漁業の神様だが、
商いの神様として信仰されている。
七福神の中で、唯一日本の神様。


毘沙門天(世尊院)

仏法を守る四天王の一人で
多聞天とも呼ばれる。
北の方角を守る戦の神様だが、
福の神としても信仰されている。



2017年 9月 20日(水) 長野(長野)


約2ヶ月の品川出張!

毎週、松本・長野に通い、平日はホテル
と会社の往復でした・・・


<日本三大車窓>

篠ノ井線の姨捨付近と、北海道の根室本線「旧狩勝峠」、九州の肥薩線「矢岳」付近

善光寺平と呼ばれる千曲川に沿った長野盆地を見渡すことができる姨捨駅と
周辺の列車からの雄大な車窓が「日本三大車窓」の一つに数えられています。




今週は移動のみ・・・残念・・・


善光寺平

善光寺平は千曲川流域の盆地で、
千曲市、長野市、小布施町、
高山村、飯綱町、中野市
などが含まれます。

千曲市にある「姨捨の棚田」は
撮影スポットとして有名です。



2017年 9月 13日(水) 長野(長野)


<ぶらり 善光寺>

約2ヶ月半の品川出張!

毎週、松本・長野に通い、平日はホテル
と会社の往復でした・・・
そこで、午後からの会議の前に少しだけ善光寺詣りです!





<一生に一度は善光寺参り>

善光寺は極楽浄土の入り口、
一生に一度訪れれば、往生がかなうと信じられています。
そして、善光寺は、宗派、男女、貴賤を問わない、無差別、平等のお寺なのです。
だからこそ、全国から参拝者が毎年大勢訪れる日本を代表するお寺の1つであると言えます。

「遠くとも 一度は参れ 善光寺」と謳われ、
“一生に一度お参りするだけで、極楽往生が叶う”
といわれているありがたいお寺だそうです。


※久しぶりにのんびり過ごすことが出来ました!


善光寺(仁王門)

仁王門は宝暦二年(1752年)に建立
されましたが、善光寺大地震などにより
二度焼失し、現在のものは
大正七年(1918年)に再建。


石畳

境内地入り口から三門下までの
400メートルに敷かれている石畳は、
正徳四年(1714年)に
江戸中橋の大竹屋平兵衛より寄進。
古来より7777枚あるといわれています。



ぬれ仏(延命地蔵)

享保七年(1722年)に善光寺聖・法誉円信が
全国から喜捨を集めて造立した延命地蔵。
六地蔵は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の
6つの世界で我々衆生を救ってくださる菩薩様



善光寺(山門)

寛延三年(1750年)に建立された
二層入母屋造りの門。
「善光寺」と書かれた額は、
通称「鳩字の額」と呼ばれており、
3文字の中に鳩が5羽隠されています。


善光寺(本堂)

江戸時代の宝永4年(1707年)に
5年の歳月を経て完成したもので、
300年の歴史を誇ります。
(撞木造りという独特な建築様式)



善光寺(日本忠霊殿・善光寺史料館)

戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまでに
亡くなられた240万余柱の英霊を祀る、
我が国唯一の仏式による霊廟


善光寺(経蔵)

宝暦九年(1759年)に建立された
宝形造りのお堂。
内部中央には八角の輪蔵があり、
その中には仏教経典を網羅した
『一切経』が収められています。

善光寺(大勧進)

大勧進の住職は貫主と呼ばれ、
大本願の上人と共に
善光寺住職を兼ねています。
貫主は代々比叡山延暦寺より
推挙される慣習になっており、
毎朝善光寺本堂で行われる
お朝事(お勤め)に出仕されます。

善光寺(駒返り橋)

仲見世通りが終わり、
山門へ進む参道の入り口にある石橋は、
建久八年(1197年)源頼朝が
善光寺を参詣した時に、
馬の蹄が穴に挟まってしまった為に
駒を返したという話から
「駒返り橋」と呼ばれています。