出張先での雑記帖



名古屋
Nagoya


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2023年 11月 17日(金) 名古屋(愛知)

<ぶらり名古屋>

名古屋と言えば
「そのまま、薬味をのせて、お出汁をかけて」 三度美味しい「ひつまぶし」 ですね。

<うな富士 白壁別邸>

元々料亭だった場所をリノベーションし2021年7月にオープン
門構えと錦鯉の泳ぐ池が素敵なお店ですね。
・・・日本庭園を眺めながら味わう名物ひつまぶし・・・
関西風の「パリふわ」で美味かったです。





※食事の後はのんびりと散策できました!



揚輝荘
覚王山の丘陵地に
大正から昭和初期にかけて
建設された郊外別荘の代表作


徳川園黒門
尾張徳川家の武家屋敷の面影を伝える「黒門」

徳川園の西に開く黒塗りの薬医門
大空襲から免れた数少ない遺構
脇長屋は、黒門に隣接する
入母屋造の建物で、
寺社のような屋根が特徴的です。


徳川園(観仙楼)
徳川光友の隠居所の
大曽根御屋敷跡に
築造された池泉廻遊式の大名庭園


水の歴史資料館
名古屋市の上下水道事業100周年
を記念して設立
歴代のデザインマンホール蓋を展示


メタウォーター下水道科学館なごや
名古屋市上下水道局が運営する
下水道に関する学習・広報施設




2021年 3月 24日(水) 名古屋(愛知)

<ぶらり名古屋>

名古屋城は、通称、「金鯱城」、「金城」とも呼ばれ、
姫路城、熊本城とともに日本三名城の一つです。


名古屋城の天守閣に金の鯱が載っています。
棟飾りとしての鯱には、威厳や美観の演出の他に、火除けの意味があったようです。

「きんしゃち」とも「きんのしゃちほこ」とも呼ばれて親しまれていますが、
金鯱は雄(北側)と雌(南側)の一対で、雄の方が大きくつくられています。
体を覆う金の鱗は雌の方が多く、きらびやかに演出されているのも特徴です。


<名古屋城 金鯱展>

コロナ禍で落ち込んだ地域経済を元気づける目的で、
金シャチが地上に降り立ったのは、1984年の名古屋城博、
愛・地球博が開催された2005年の新世紀・名古屋城博。
今回は3度目、16年ぶりとなります。
2021年3月20日(土) 〜 4月2日(金)

 
「海シャチ(雌)」 水盤に優雅に浮かぶ雌の金鯱。水面に映る逆さ金シャチ


「山シャチ(雄)」 砂山で光輝く雄の金鯱。全方向から観賞できます。

※久しぶりにリラックスできました!



名城金鯱水
2020年8月1日 「水の日」に、
環境に配慮したマイボトル対応
冷水機「名城金鯱水」が
金シャチ横丁に設置されました

金鯱展
名古屋城の金シャチが
疫病退散と復興への道
に導くシンボルとして
16年ぶりに地上に降臨

〜 守り神降臨、海と山の祈り 〜
「海シャチ」 と 「山シャチ」


天守閣
本丸の北西隅に位置する
名古屋城の天守は
5重7階の連結式層塔型
(加藤清正が築いた天守台の石垣)


東南隅櫓
辰巳隅櫓と呼ばれる
西側と北側に多聞櫓が続いていた
屋根二重・内部三階の櫓



西南隅櫓
未申隅櫓と呼ばれる
屋根二重・内部三階の櫓



2017年 12月 21日(木) 名古屋(愛知)

<ぶらり名古屋>

名古屋城は、通称、「金鯱城」、「金城」とも呼ばれ、
姫路城、熊本城とともに日本三名城の一つです。


名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城の跡周辺に、
徳川家康が九男義直のために天下普請によって築城したとされます。

慶長14年(1609)、徳川家康が天下統一の最後の布石として建てたのが
この名古屋城で、以来徳川御三家のひとつに数えられる
尾張徳川家の居城とされてきた歴史を持っています

  

名古屋城本丸御殿の復元工事は、3期に分けられ、
第1期は平成20年から24年にかけて玄関、表書院、中之口部屋、
第2期は平成23年から平成27年まで行われ、対面所、上台所、梅之間が復元。
平成25年から現在第3期の工事に入り、
上洛殿、黒木書院、そして御湯殿書院などが完成予定で、
平成30年に全ての工事が終わります。

  

※久しぶりにリラックスできました!



名古屋城
東海道の要所として、1612年(慶長17年)、
徳川家康が子義直の居城として築城。
昭和20年の名古屋空襲により、
ほとんどの建物が焼失したが、
三つの櫓、三つの門、本丸御殿障壁画・
天井板絵の大部分が戦火を免れ、
国の重要文化財に指定された。

金の鯱
「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、
尾張名古屋は城でもつ」と詠われている。
大天守に上げられた金の鯱(金鯱(きんこ))は、
城だけでなく名古屋の街の象徴にもなっている。



金の鯱(金鯱(きんこ))

東南隅櫓
辰巳櫓ともいわれる。
屋根二重・内部三階の櫓。
東・南麺には、軍事用の「石落とし」
を張り出して屋根をつけています。
この櫓は建設当時の姿を伝えるもので
鬼瓦などに葵の紋が見られます。

名古屋城本丸御殿
戦争で焼失した本丸御殿の復元工事が
行われており、現在、「玄関・表書院」、
藩主と身内などの内向きの対面や
宴席の場「対面所・下御膳所」
が公開されています。
「上洛殿」は平成30年完了公開予定。



徳川園
徳川御三家筆頭である、
尾張藩二代藩主光友が、
元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所
池泉回遊式の日本庭園。




2013年 4月 12日(金) 名古屋(愛知)

<ぶらり名古屋>

名古屋城は、通称、「金鯱城」、「金城」とも呼ばれ、
姫路城、熊本城とともに日本三名城の一つです。


名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城の跡周辺に、
徳川家康が九男義直のために天下普請によって築城したとされます。



「名古屋贅沢定食」は、“味噌カツ” “名古屋コーチン手羽先” “どて煮”
がセットになったスペシャルメニューです。
このひと品で名古屋名物を存分に楽しめますよ。

※美味かった!



名古屋城
東海道の要所として、1612年(慶長17年)、
徳川家康が子義直の居城として築城。
昭和20年の名古屋空襲により、
ほとんどの建物が焼失したが、
三つの櫓、三つの門、本丸御殿障壁画・
天井板絵の大部分が戦火を免れ、
国の重要文化財に指定された。

金の鯱
「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、
尾張名古屋は城でもつ」と詠われている。
大天守に上げられた金の鯱(金鯱(きんこ))は、
城だけでなく名古屋の街の象徴にもなっている。


金の鯱(金鯱(きんこ))

東南隅櫓
辰巳櫓ともいわれる。
屋根二重・内部三階の櫓。
東・南麺には、軍事用の「石落とし」
を張り出して屋根をつけています。
この櫓は建設当時の姿を伝えるもので
鬼瓦などに葵の紋が見られます。