<ぶらり名古屋>
名古屋城は、通称、「金鯱城」、「金城」とも呼ばれ、
姫路城、熊本城とともに日本三名城の一つです。
名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城の跡周辺に、
徳川家康が九男義直のために天下普請によって築城したとされます。
慶長14年(1609)、徳川家康が天下統一の最後の布石として建てたのが
この名古屋城で、以来徳川御三家のひとつに数えられる
尾張徳川家の居城とされてきた歴史を持っています

名古屋城本丸御殿の復元工事は、3期に分けられ、
第1期は平成20年から24年にかけて玄関、表書院、中之口部屋、
第2期は平成23年から平成27年まで行われ、対面所、上台所、梅之間が復元。
平成25年から現在第3期の工事に入り、
上洛殿、黒木書院、そして御湯殿書院などが完成予定で、
平成30年に全ての工事が終わります。

※久しぶりにリラックスできました!
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名古屋城 |
東海道の要所として、1612年(慶長17年)、
徳川家康が子義直の居城として築城。
昭和20年の名古屋空襲により、
ほとんどの建物が焼失したが、
三つの櫓、三つの門、本丸御殿障壁画・
天井板絵の大部分が戦火を免れ、
国の重要文化財に指定された。
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金の鯱 |
「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、
尾張名古屋は城でもつ」と詠われている。
大天守に上げられた金の鯱(金鯱(きんこ))は、
城だけでなく名古屋の街の象徴にもなっている。

金の鯱(金鯱(きんこ)) |

東南隅櫓 |
辰巳櫓ともいわれる。
屋根二重・内部三階の櫓。
東・南麺には、軍事用の「石落とし」
を張り出して屋根をつけています。
この櫓は建設当時の姿を伝えるもので
鬼瓦などに葵の紋が見られます。 |

名古屋城本丸御殿 |
戦争で焼失した本丸御殿の復元工事が
行われており、現在、「玄関・表書院」、
藩主と身内などの内向きの対面や
宴席の場「対面所・下御膳所」
が公開されています。
「上洛殿」は平成30年完了公開予定。
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徳川園 |
徳川御三家筆頭である、
尾張藩二代藩主光友が、
元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所
池泉回遊式の日本庭園。
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