出張先での雑記帖



大津
Ohtsu


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2024年 4月 5日(金) 大津(滋賀)

<ぶらり琵琶湖疏水>

京都と大津を繋ぐ希望の水路として日本遺産に認定されている「琵琶湖疏水」
・・・琵琶湖第一疏水の桜が満開でした・・・




<琵琶湖疏水>

琵琶湖の湖水を滋賀県大津市から西隣の京都府京都市へ流すため
明治時代に作られた水路

滋賀県大津市観音寺から京都府京都市伏見区堀詰町までの全長約20kmの「第1疏水」
第1疏水の北側を全線トンネルで並行する全長約7.4kmの「第2疏水」
京都市左京区の蹴上付近から分岐し北白川に至る全長約3.3kmの「疏水分線」
などから成る、今なお現役で活躍している人工の運河です。




※びわ湖疏水船は大津閘門の電動化により
2024/3/28〜4/7の8日間のみ大津港まで運航されるそうです。


第1トンネル東口
びわ湖側から一つ目のトンネル
三角の屋根を構えた堂々とした佇まい


琵琶湖第一疏水
仁王像が守護する三井寺の玄関。
「大門」とも呼ばれるこの仁王門は、
徳川家康の寄進によるもの


大津閘門
日本最初期のれんが造りの
本格的な西洋式閘門



2024年 1月 2日(火) 大津(滋賀)

<ぶらり三井寺>

滋賀県大津市にある「近江神宮」の祭神として祭られる天智天皇は
大化の改新を実行し激動の人生を歩んだ運命開拓の神と言われています!
毎年、平野神社を参拝し、近江神宮で「家内安全」のご祈祷、
三井寺で「先祖供養」のローソクを灯していますが、
新年から能登半島地震・航空機衝突事故・飲食店街火災
・・・一日も早く穏やかな日常が戻りますようお祈り致します・・・

<世界の記憶(世界記憶遺産)>

【智証大師円珍関係文書典籍−日本・中国の文化交流史- 】

滋賀県大津市の「三井寺(長等山園城寺)」が所有する
国宝「智証大師円珍関係文書典籍」「五部心観」が
2023年5月25日に「世界の記憶」に登録されました。
9世紀における日本と中国の文化交流の様子が伺える史料群で
とりわけ唐の役所から交付された通行許可書「過所」は
世界最古のパスポートだそうです。



※令和6年新年特別公開と併せて本堂の後陣に展示されていました。


大門(仁王門)
仁王像が守護する三井寺の玄関。
「大門」とも呼ばれるこの仁王門は、
徳川家康の寄進によるもの


金堂
三井寺の本堂。
桃山時代を代表する名建築
豊臣秀吉の正室・北政所により再建


鐘楼(三井の晩鐘)
近江八景のひとつ
その音色の美しさから、
「音の三井寺」として
日本三名鐘のうちの1つ


閼伽井屋
天智・天武・持統の三帝が
産湯に用いたことから
「三井」寺となった。
軒下には左甚五郎作とされる
龍神の彫刻があります。


霊鐘堂
三井寺の初代の鐘
別名「弁慶の引き摺り鐘」


一切経蔵(八角輪蔵)
一切経を安置するための堂
内部には一切経を納める回転式の
巨大な八角輪蔵が備えられています。


三重塔
豊臣秀吉によって
伏見城に移築された大和の比蘇寺の塔を
徳川家康が
三井寺に寄進したもの。


唐院潅頂堂
唐院は円珍(智証大師)の廟所
唐院は大師堂・潅頂堂・三重塔の
3つで形成されており
大師堂の拝殿

鐘楼
童子因縁之鐘
現在釣られている鐘は、
当寺所蔵の朝鮮鐘を模刻したもの


観音堂
琵琶湖を望む高台にある大きな堂宇
如意輪観音が祀られています。


観月舞台
長等山の斜面に沿って足代柱を立て
櫓に組み上げた懸造(舞台造)



2022年 10月 9日(日) 大津(滋賀)

<大津祭>

コロナの影響で3年ぶりの開催です!
大津祭は、江戸時代に始まった天孫神社の祭礼で、
湖国三大祭にも数えられる湖都大津の秋を彩る絢爛豪華なお祭りです。

江戸時代初め鍛冶屋町の塩売治兵衛が
狸の面をかぶって踊ったのが始まりとされます。
現在13基ある曳山はいずれも江戸時代に制作されたもので、
各曳山にはからくり人形が乗っているのが特徴です。
(天孫神社前でからくりを披露)



残念ながら午後から雨でした・・・


13基の山鉾
天孫神社前に整列する山鉾
毎年巡行の先頭を行くのは
西行桜狸山だそうです



西行桜狸山(大津祭最初の曳山)
先導する西行桜狸山の狸様は
黄色のレインコートを被っていました


西行桜狸山 鍛冶屋町
曳山祖神
狸山の祖となった狸



神輿(天孫神社)
曳山舞殿に鎮座する神輿


ちま吉
大津祭曳山連盟公式キャラクター
厄除けちまきが集まって生まれた
「ちまきの精霊」だそうです。



2022年 5月 22日(日) 大津(滋賀)

<ぶらり びわ湖大津館>

1934年に外国人観光客の誘致を目的に
県内初の国際観光ホテルとして建築された建物(旧琵琶湖ホテル本館)
を2002年にリニューアル活用した大津市の文化施設
外観は和のスタイル、内装は洋風のスタイルでまとめられており
独特の雰囲気があるのが特徴です。

<イングリッシュガーデン>
湖畔に面したガーデンには、四季折々で楽しめる植物のほか
約300種3000本のバラが植栽されています。









※薔薇が満開でした!


柳が崎湖畔公園
びわ湖大津館を中心に
びわ湖畔に広がる公園
湖上からの爽やかな風を感じながらの
ガーデンウォークが楽しめます。


プリンセス・ミチコ
<皇室ゾーン>
プリンセス・ミチコ


プリンセス・アイコ
<皇室ゾーン>
プリンセス・アイコ



マルク・シャガール
<画家ゾーン>
マルク・シャガール


レオナルド・ダ・ビンチ
<画家ゾーン>
レオバルド・ダ・ビンチ



ブルー・ムーン
<香りゾーン>
ブルー・ムーン


結愛
<香りゾーン>
結愛




2022年 5月 5日(木) 大津(滋賀)

<ぶらり びわ湖大津館>

1934年に外国人観光客の誘致を目的に
県内初の国際観光ホテルとして建築された建物(旧琵琶湖ホテル本館)
を2002年にリニューアル活用した大津市の文化施設
外観は和のスタイル、内装は洋風のスタイルでまとめられており
独特の雰囲気があるのが特徴です。

<イングリッシュガーデン>
湖畔に面したガーデンには、四季折々で楽しめる植物のほか
約300種3000本のバラが植栽されています。



※のんびりと散策できました!


柳が崎湖畔公園
びわ湖大津館を中心に
びわ湖畔に広がる公園
湖上からの爽やかな風を感じながらの
ガーデンウォークが楽しめます。


びわ湖大津館(旧琵琶湖ホテル)
「湖国の迎賓館」と呼ばれた
旧琵琶湖ホテル本館を利用した
公園施設



ノットガーデン
ツゲなどを刈込んだ間に
花やハーブを植えて
ノット(結び目)の模様が施された庭


グラベルガーデン
石や岩、砂礫を組み合わせ、
可憐な花々、ハーブを植えこんだ
ガーデンです。


ランドスケープガーデン
美しいびわ湖を借景に
絵画のように
美しい眺めを楽しめます。


フレグランスローズガーデン
希少種のオールドローズから
最新のモダンローズまで、
県下最大級、約300種3000株の
薔薇が甘い香りを放ちます。


睡蓮の池
耐寒性・熱帯性の
色彩豊かな睡蓮が咲く池


柳が崎湖畔公園港
クルージングの際に利用できる
柳が崎湖畔公園港
遊覧船のクルージング「ミシガン80」




2022年 5月 3日(火) 大津(滋賀)

<ぶらり三井寺>

三井寺は、正式には「長等山園城寺」といい、天台寺門宗の総本山です。
1300年の歴史を持ち、平安時代以降、
東大寺、興福寺、延暦寺とともに四大寺院のひとつ

桜・紅葉の名所として有名ですが、
観月舞台のリフレクション・緑のグラデュエーション・青もみじ・春もみじ・・・
新緑が眩しい季節ですね。



<2022 観月舞台リフレクション>

GW期間中の5日間限定(2022年5月1日・3日・4日・5日・8日)で
話題の「観月舞台」が公開されます。
敷き詰めるアクリルはいろいろな種類を試して
一番きれいに映るものを選んだそうです。



※のんびりと散策できました!


大門(仁王門)
仁王像が守護する三井寺の玄関。
「大門」とも呼ばれるこの仁王門は、
徳川家康の寄進によるもの


金堂
三井寺の本堂。
桃山時代を代表する名建築
豊臣秀吉の正室・北政所により再建


鐘楼(三井の晩鐘)
近江八景のひとつ
その音色の美しさから、
「音の三井寺」として
日本三名鐘のうちの1つ


閼伽井屋
天智・天武・持統の三帝が
産湯に用いたことから
「三井」寺となった。
軒下には左甚五郎作とされる
龍神の彫刻があります。


霊鐘堂
三井寺の初代の鐘
別名「弁慶の引き摺り鐘」


一切経蔵(八角輪蔵)
一切経を安置するための堂
内部には一切経を納める回転式の
巨大な八角輪蔵が備えられています。


三重塔
豊臣秀吉によって
伏見城に移築された大和の比蘇寺の塔を
徳川家康が
三井寺に寄進したもの。


唐院潅頂堂
唐院は円珍(智証大師)の廟所
唐院は大師堂・潅頂堂・三重塔の
3つで形成されており
大師堂の拝殿


鐘楼
童子因縁之鐘
現在釣られている鐘は、
当寺所蔵の朝鮮鐘を模刻したもの


観音堂札所伽藍
左端の大きな建物が「観音堂」
中央手前は「手水舎」
広場奥に見える左側の建物は「百体堂」
右側は「観月舞台」

観音堂
琵琶湖を望む高台にある大きな堂宇
如意輪観音が祀られています。


手水舎
観音堂前にある手水舎
シンプルな蓮タイプです


百体堂
西国礼所の三十三観音像、
坂東三十三箇所、
秩父三十四箇所の本尊、
合わせて百体の観音像を安置


観月舞台
長等山の斜面に沿って足代柱を立て
櫓に組み上げた懸造(舞台造)



2022年 4月 3日(日) 大津(滋賀)

<桜満開>

桜満開です! まとめてどうぞ!。

琵琶湖疏水の両岸には約200本の桜があり、
三井寺に続く絶景の桜並木として大津市の桜名所のひとつとなっています。

三井寺の広大な敷地内には約1,300本の桜があり、
大津市の桜名所のひとつとなっています。

近江神宮の御祭神である天智天皇が小倉百人一首に和歌を残された縁から
かるたの殿堂として知られ映画「ちはやふる」の舞台でも有名ですね。

膳所城跡公園 内にはヤマザクラやソメイヨシノが約100本あり、
春の湖畔に華やぎを添えています。

相模川は、江戸時代の初めに膳所城が築城される際に、
現在の京阪電鉄膳所本町駅裏あたりから新しく川を掘り、
西ノ庄と木下の境に沿って琵琶湖に流れるようになりました。






久しぶりにリフレッシュできました!



琵琶湖疏水
京都へ琵琶湖の水を運ぶ琵琶湖疏水は、
明治時代に当時の最高の土木技術を
駆使し造営された運河です。


三井寺
歌川広重が描いた浮世絵
近江八景のひとつ「三井の晩鐘」
で有名な三井寺。



近江神宮
大化の改新を行った天智天皇を
主祭神として祀る近江神宮。



膳所城跡公園
徳川家康が築城の名
藤堂高虎に作らせた膳所城の本丸跡は、
膳所城跡公園として整備され、
現在は桜の名所となっています。


相模川
相模川は御霊殿池ならびに
膳所藩管理の御用池を源とする川。
膳所城の外堀の役割をはたしました。



2017年 5月 7日(日) 大津(滋賀)

<ぶらり びわ湖大津館>

1934年に外国人観光客の誘致を目的に
県内初の国際観光ホテルとして建築された建物(旧琵琶湖ホテル本館)
を2002年にリニューアル活用した大津市の文化施設
外観は和のスタイル、内装は洋風のスタイルでまとめられており
独特の雰囲気があるのが特徴です。

<イングリッシュガーデン>
湖畔に面したガーデンには、四季折々で楽しめる植物のほか
約300種3000本のバラが植栽されています。



※のんびりと散策できました!


びわ湖大津館(旧琵琶湖ホテル)
「湖国の迎賓館」と呼ばれた
旧琵琶湖ホテル本館を利用した
公園施設



建設当時の鬼瓦

ノットガーデン
ツゲなどを刈込んだ間に
花やハーブを植えて
ノット(結び目)の模様が施された庭


グラベルガーデン
石や岩、砂礫を組み合わせ、
可憐な花々、ハーブを植えこんだ
ガーデンです。


睡蓮の池
耐寒性・熱帯性の
色彩豊かな睡蓮が咲く池


柳が崎湖畔公園港
クルージングの際に利用できる
柳が崎湖畔公園港
遊覧船のクルージング「ミシガン80」




2017年 4月 4日(日) 大津(滋賀)

<ぶらり三井寺>

三井寺は、正式には「長等山園城寺」といい、天台寺門宗の総本山です。
平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍和尚の
卓越した個性によって天台別院として中興され、
以来一千百余年にわたってその教法を今日に伝えてきました。

667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。
672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と
大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。
壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために
「田園城邑」を寄進して寺を創建し、
天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。

境内に天智・天武・持統の三天皇の御産湯に用いられたとされる霊泉(井戸)があることから、
「御井(みい)の寺」と称され、後に「三井寺」と通称されるようになりました。


<2017 春はさくら、桜の三井寺>

三井寺の春は、35万坪に及ぶ広大な境内に千本を越える桜が咲き誇り、
それは見事。
ことに参道沿いの桜並木は圧巻、一見の価値があります。
春風に吹かれながら歴史と文化が織りなす国宝や重要文化財の堂社を巡り、
花の三井寺を心ゆくまで満喫してください。



久しぶりにリフレッシュできました!


大門(仁王門)
三井寺中院の表門で、東面して建ち、
両脇の仁王像が山内を守護しています。
記録によると、天台宗の古刹常楽寺の門で、
後に秀吉によって伏見に移され、
慶長六年(1601)に家康によって
現在地に 建てられたとしています。

金堂
現在の金堂は、
豊臣秀吉の正室北政所によって再建。
内部は外陣・中陣・後陣に別れ、
中陣は中心となる内陣の両側に
脇陣を設けています。

鐘楼(三井の晩鐘)
近江八景のひとつ
三井の晩鐘で有名な巨大な梵鐘を吊る鐘楼で、
金堂の南東に建てられています。
乳の数が一区内五段五系列の
計百個と上帯内部の八個を合わせ
総計百八個となっています。

弁慶鐘
金堂西方の霊鐘堂に安置される古鐘で、
園城寺では数少ない
智証大師入山以前の遺品です。
龍頭と直角で、
しかも比較的高い位置に撞座があります。
外に張り出さない駒の爪。
中世の遺品が一区内四段四列を標準
とする乳の数を、五段七列としています。

一切経蔵(八角輪蔵)
一切経蔵は一切経を安置するための堂で、
内部には一切経を納める回転式の
巨大な八角輪蔵が備えられています。

輪蔵には、高麗版一切経が納められており、
また天井から 円空仏七体が発見されています。

三重塔
慶長二年(1597)、豊臣秀吉によって
伏見城に移築された大和の比蘇寺の塔を
慶長五年に徳川家康が
三井寺に寄進したものです。

一層目の須弥壇には、
木造・釈迦三尊像が安置されています。
軒深く、三重の釣合よく、
相輪の水煙などに
中世仏塔の風格をよく伝えています。

観音堂
西国三十三箇所観音霊場の
第十四番礼所として、
篤く信仰されています。
本尊は如意輪観音。
貞享三年(1686)に火災にあい、
元禄二年に再建された大きな堂です。



2016年 11月19日(土) 大津(滋賀)

<ぶらり三井寺>

三井寺は、正式には「長等山園城寺」といい、天台寺門宗の総本山です。
平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍和尚の
卓越した個性によって天台別院として中興され、
以来一千百余年にわたってその教法を今日に伝えてきました。

667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。
672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と
大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。
壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために
「田園城邑」を寄進して寺を創建し、
天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。


<2016 三井寺 秋のライトアップ>

「三井寺では2015年秋より、紅葉の時期に合わせ夜間のライトアップを開催中。
境内にある紅葉の樹々が国宝や重要文化財の建造物
とともに照らし出され、夜の三井寺を美しく彩ります。

   


久しぶりにリフレッシュできました!


大門(仁王門)
三井寺中院の表門で、東面して建ち、
両脇の仁王像が山内を守護しています。
記録によると、天台宗の古刹常楽寺の門で、
後に秀吉によって伏見に移され、
慶長六年(1601)に家康によって
現在地に 建てられたとしています。

金堂
現在の金堂は、
豊臣秀吉の正室北政所によって再建。
内部は外陣・中陣・後陣に別れ、
中陣は中心となる内陣の両側に
脇陣を設けています。

鐘楼(三井の晩鐘)
近江八景のひとつ
三井の晩鐘で有名な巨大な梵鐘を吊る鐘楼で、
金堂の南東に建てられています。
乳の数が一区内五段五系列の
計百個と上帯内部の八個を合わせ
総計百八個となっています。

楼(三井の晩鐘)
金堂西方の霊鐘堂に安置される古鐘で、
園城寺では数少ない
智証大師入山以前の遺品です。
龍頭と直角で、
しかも比較的高い位置に撞座があります。
外に張り出さない駒の爪。
中世の遺品が一区内四段四列を標準
とする乳の数を、五段七列としています。

一切経蔵(八角輪蔵)
一切経蔵は一切経を安置するための堂で、
内部には一切経を納める回転式の
巨大な八角輪蔵が備えられています。

輪蔵には、高麗版一切経が納められており、
また天井から 円空仏七体が発見されています。

三重塔
慶長二年(1597)、豊臣秀吉によって
伏見城に移築された大和の比蘇寺の塔を
慶長五年に徳川家康が
三井寺に寄進したものです。

一層目の須弥壇には、
木造・釈迦三尊像が安置されています。
軒深く、三重の釣合よく、
相輪の水煙などに
中世仏塔の風格をよく伝えています。

観音堂
西国三十三箇所観音霊場の
第十四番礼所として、
篤く信仰されています。
本尊は如意輪観音。
貞享三年(1686)に火災にあい、
元禄二年に再建された大きな堂です。



2016年 5月 29日(日) 大津(滋賀)

<ぶらり建部大社>

古来、建部大社、建部大明神などと称え、延喜式内名神大社に列し、
又近江国の一之宮として朝野の崇敬篤く、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社です。
御祭神、日本武尊は御年僅に16才にて熊襲を誅し、更に東夷を平定され、
遂に32才にして伊勢の能褒野において崩御されましたが、父君景行天皇は尊の永逝をいたく歎かれ、
御名代として建部を定め、その功名を伝えられました(日本書紀にしるされている)
これが即ち建部の起源です。

源頼朝が平治の乱に敗れて伊豆国に流される道中、本社に立ち寄って源氏の再興を祈願、
後に大願成就したことから、出世開運の神としても著名になりました。


<旧紙幣千円札>
昭和20年、日本で初の千円紙幣に日本武尊と建部大社が描かれています。
わずか7ヶ月間という通用期間であった為、幻の紙幣とされています。



久しぶりにリフレッシュできました!



神門
境内地と神域の境いを示しているのがこの神門。
孝徳天皇の御代天平勝宝7年(755年)
大己貴命を権殿へと奉祀された際、
一夜にして成長したと伝わる御神木の三本杉。



拝殿
天武天皇の御代白鳳4年(675年)
今から約1300年程前に、
この瀬田の地へと遷し祀られました。



本殿・権殿
正面左側が本殿 日本武尊を祀り、
右側は大己貴命を祀る権殿です。



菊の紋様をおもわせる菊化石

宝物殿
中央が日本武尊の御妃
、両脇が御子であるとされています。
平安時代の作


女神像



2014年 8月24日(日) 大津(滋賀)

<ぶらり三井寺>

天台寺門宗の総本山である三井寺(みいでら)は、正式名称を長等山園城寺といいます。
滋賀県大津市、琵琶湖南西の長等山中腹に広大な敷地を有しています。
また、湖国近江の名勝、近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知られています

<三井の晩鐘>
近江八景の三井の晩鐘として親しまれている大鐘です。
乳の数が一区内五段五系列の計百個と上帯内部の八個を合わせ総計百八個となっています。
百八煩悩に因んだ数の乳を持つ梵鐘の在銘最古遺品に当たります。

三井の霊泉
堂の近くには天智・天武・持統の三帝が産湯に用いたという三井の霊泉があります。
古来より閼伽水として金堂の弥勒さまにお供えされてきました。
閼伽井屋の正面に立ち、三井の霊泉の上部を見ると、立派な龍の彫刻に目が留まります。
この龍の彫刻は、江戸初期の彫刻職人、左甚五郎作と伝えられており、
昔、この龍が夜な夜なびわ湖に出て暴れたため、困った甚五郎が
自ら龍の目玉に五寸釘を打ち込み静めたと伝えられています。




本堂

梵鐘(三井の晩鐘)

三井の霊泉

龍の彫刻

三重塔

大門



2014年 7月 5日(土) 大津(滋賀)

<ぶらり近江神宮>

近江神宮の御祭神・天智天皇は、またの御名を天命開別皇命と申し、
日本の運命を導いてゆかれた御祭神の、万物の運命を開いて行く開運招福の御神徳ことに深く、
時の一瞬の判断が運命を左右することをつかさどり、開運への道を説き示す、
時の神様、導きの神様としての御神徳を合せ持ち、
絶大なる御神威をもって人々の祈りや願いをお聞き届けいただける神様です。


<交通安全祈願>

近江神宮の御祭神・天智天皇は、近江大津宮に漏刻(水時計)を設けて時報を開始された、時の祖神です。
そして先進的な土木技術を駆使して四方八方に道路を開いて行かれました。

「DUALIS」はラテン語で「2元の」あるいは「2つの性質をもつ」という意味。
また、英語の「DUAL」からの造語で、乗る人にONとOFFのデュアルライフでの充実を提供した
いという意味も込められているそうです。




交通安全祈願

スタイリッシュガラスルーフ



2013年 1月 1日(木) 大津(滋賀)

<ぶらり近江神宮>

第38代天智天皇をまつる近江神宮は、天智天皇の古都、近江大津宮(大津京)跡に鎮座する神社です。
滋賀県西部、琵琶湖西岸の山裾に位置しています。
旧官幣大社・勅祭社であり、社殿は近江造り・昭和造りといわれ、
昭和の神社建築の代表として登録文化財となっています。
開運・みちびきの神、産業文化学問の神として崇敬が深く、
また漏刻(水時計)・百人一首かるた・流鏑馬(やぶさめ)で知られ、
境内に時計館宝物館があり、漏刻・日時計なども設けられています。



本殿

楼門

内拝殿

外拝殿

古代火時計

内院回廊