出張先での雑記帖



膳所
Zeze


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2024年 5月 6日(月) 浜大津(滋賀)

<ミシガンクルーズ>

1982年4月29日に就航した琵琶湖を代表する大型観光船ミシガン。
滋賀県と友好姉妹都市であるアメリカ・ミシガン州との国際親善を祈念して
ミシガンと命名されたそうです。
ミシガンは全国にあるレストランシップの先駆けというだけでなく、
後部パドル(外輪)だけで実際に航行するめずらしい船です。
(アメリカのミシシッピ川で運航されていた外輪船をモチーフとして建造されたそうです)

琵琶湖の南部を周遊する陽気な外輪船でゆったりとびわ湖クルーズを楽しめますよ。



<レッツゴーミシガン>

「成瀬は天下を取りにいく」 と 「ミシガンクルーズ」 のコラボレーション企画として
「レッツゴーミシガン」 キャンペーンを実施。
外輪船ミシガンが重要な観光スポットとして作中に登場すること、
作者の宮島未奈氏が
「びわ湖アンバサダー」を務めていただいたことから実現したそうです
続編 「成瀬は信じた道をいく」 の刊行を記念し、
2024年1月22 日〜5月6日(月)の期間
「レッツゴーミシガン」 キャンペーン第 2 弾が開催されました。



※ 遅ればせながら 「2024年 本屋大賞受賞!」 おめでとうございます。



大津港
琵琶湖の玄関口
湖上遊覧やマリンレジャーの拠点
(ミシガンは琵琶湖の南部を周遊)



ミシガン船内
4階建ての豪華な外輪船
60分/90分間クルーズ
ナイトクルーズもあります。


ミシガン船内
最上階スカイデッキから四季折々の
びわ湖を一望できます。



2024年 5月 4日(土) 膳所(滋賀)

<デジタルスタンプラリー>

大津市を舞台にした小説 「成瀬は天下を取りにいく」 (宮島未奈著・新潮社刊)が
2024年本屋大賞のノミネート作品となったことを記念し、
滋賀県が導入しているデジタル地域コミュニティ通貨 「ビワコ」 を使いながら、
「成瀬は天下を取りにいく」 および続編の 「成瀬は信じた道をいく」 の
ゆかりの地をめぐるデジタルスタンプラリーを開催しています。
(2024年4月1日(月)から6月30日(日)まで@13ヶ所)


※スタンプラリー達成特典(クリアファイル)をゲットしました!

<2024年本屋大賞>

「全国書店員が選んだ いちばん!売りたい本 2024年本屋大賞」 の発表会を、
2024年4月10日(水)明治記念館にて行いました。
一次投票には全国の530書店より書店員736人、
二次投票では342書店、書店員443人もの投票がありました。
二次投票ではノミネート作品をすべて読んだ上でベスト3を投票しました。

その結果、
2024年本屋大賞に 「成瀬は天下を取りにいく」 宮島未奈(新潮社)が決まりました。



※ 遅ればせながら 「2024年 本屋大賞受賞!」 おめでとうございます。

しばらく本を読んでいませんが、
滋賀県民(大津市民)としては読まないといけいないと思い
「成瀬は天下を取りにいく」「成瀬は信じた道をいく」 2冊を購入し一気に読みました。
膳所駅、ときめき坂、西武大津店、オーミー大津テラス、平和堂フレンドマート、ミシガン・・・
地元ネタ満載でした! ここまで膳所が登場するとは・・・
「膳所から来ました・・・ゼゼカラ・・・膳所から世界へ!」ですね!



1. 膳所駅
成瀬と島崎の最寄駅


2. セブン-イレブン大津膳所駅前通り店
成瀬と島崎がM-1帰りに
立ち寄ったコンビニ。
成瀬はガリガリ君、
島崎はチョコミントバーをチョイス。

3. よりみちパン
島崎のお気に入りのパン屋さん。
島崎のイチオシは
「塩パン」 とのこと

4. 美容プラージュ膳所店
成瀬行きつけの美容室。
同級生の「大貫かえ」でに
教えてもらったお店。

5. びっくりドンキー大津店
成瀬たちの溜まり場。
成瀬が注文するのは決まって
チーズバーグディッシュ

6. フレンドマート大津テラス店
成瀬のアルバイト先のモデルとなった店舗。
クレーマーを辞めたい主婦
「呉間言実」と出会う馬主。


7. 大津港
成瀬が年に2,3回乗るミシガンの乗り場。
成瀬曰く、
ミシガンは「何度乗っても飽きない」


8. 湖の駅浜大津おいしや
成瀬が西浦航一郎を案内した食堂。
オススメは、「近江牛コロッケ」

9. 奎文堂
成瀬が通う膳所高校の
そばにある本屋さん


10, 近江神宮
「かるたの聖地」 近江神宮には、
百人一首かるた第一番の作者、
天智天皇がまつられています


11. 近江勧学館(近江神宮境内)
成瀬も参加した
「全国高等学校かるた選手権大会」
のメイン会場



12. 滋賀市民センター
作中で登場する「競技かるた」の会場。
広島代表の西浦航一郎が
成瀬と運命の出会いを果たす。


13.ハンバーグステーク松喜屋
篠原かれんが「びわ湖大津観光大使」
選任のお祝いで訪れたハレの日に
ぴったりのレストラン。
ハンバーグステーキ松喜屋では
成瀬シリーズとのコラボメニューも展開中



2022年 4月10日(日) 膳所(滋賀)

<ぶらり膳所>

JR膳所駅は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場している
木曽義仲が眠る「義仲寺」の最寄り駅です。
JR膳所駅前通路に、4月9日から大津市出身の漫画家
「唐々煙」さんの木曽義仲・巴御前の書き下ろしイラストが登場しました
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」での二人の活躍が楽しみですね。



久しぶりにリフレッシュできました!



義仲寺
義仲寺は無名庵ともいい、
元暦元年(1148)に没した木曾義仲のために、
巴御前が草庵を営み供養を続けたので
巴寺と称したのに始まるとされている..


朝日将軍・木曽義仲公の墓
平安時代末期にこの地で
死を遂げた木曽義仲
義仲を支えた巴御前の塚が残されています。



芭蕉翁の墓
木曽義仲の墓の右隣に
松尾芭蕉の墓が建てられています。
芭蕉の辞世の句
「旅に病んで 夢は枯野を かけ回る』」



翁堂
正面奥に芭蕉の坐像があり、
その周りに36人の門人の肖像画
天井画は伊藤若冲筆になる四季花卉の図



2021年 3月14日(日) 膳所(滋賀)

<ぶらり膳所>

JR膳所駅・京阪電鉄膳所駅の北約300mにある寺院。
義仲寺の名は、平家討伐の兵を挙げて都に入り、帰りに源頼朝軍に追われて粟津(の地で
壮烈な最期を遂げた木曽義仲(1154-84)をここに葬ったことに由来しています。
近江守護であった佐々木六角が、室町時代末期に建立したといわれています。

 江戸時代中期までは木曽義仲を葬ったという小さな塚でしたが、
周辺の美しい景観をこよなく愛した松尾芭蕉(1644-94)が度々訪れ、
のちに芭蕉が大阪で亡くなったときは、
生前の遺言によってここに墓が立てられたと言われています。
 境内には、芭蕉の辞世の句である「旅に病て夢は枯野をかけめぐる」
など数多くの句碑が立ち、偉大な俳跡として多くの人が訪れます。


 

久しぶりにリフレッシュできました!



義仲寺
義仲寺は無名庵ともいい、
元暦元年(1148)に没した木曾義仲のために、
巴御前が草庵を営み供養を続けたので
巴寺と称したのに始まるとされている..

境内には木曾義仲と
松尾芭蕉の墓が並んでいるので、
「木曾殿と背中合わせの寒さかな」
の句で有名。


粟津文庫
芭蕉の偉業顕彰に努めた
蝶夢法師が1791年に創設した粟津文庫

芭蕉翁句牌
芭蕉の辞世の句
【旅に病んで夢は枯野をかけめぐる】

翁堂
境内の南詰付近に建つ。
正面祭壇に芭蕉座像と、
左右に去来、蝶夢法師の像が安置されている。
天井画は伊藤若冲筆になる四季花卉の図



2018年 6月17日(日) 膳所(滋賀)

<ぶらり膳所>

JR膳所駅・京阪電鉄膳所駅の北約300mにある寺院。
義仲寺の名は、平家討伐の兵を挙げて都に入り、帰りに源頼朝軍に追われて粟津(の地で
壮烈な最期を遂げた木曽義仲(1154-84)をここに葬ったことに由来しています。
近江守護であった佐々木六角が、室町時代末期に建立したといわれています。

 江戸時代中期までは木曽義仲を葬ったという小さな塚でしたが、
周辺の美しい景観をこよなく愛した松尾芭蕉(1644-94)が度々訪れ、
のちに芭蕉が大阪で亡くなったときは、
生前の遺言によってここに墓が立てられたと言われています。
 境内には、芭蕉の辞世の句である「旅に病て夢は枯野をかけめぐる」
など数多くの句碑が立ち、偉大な俳跡として多くの人が訪れます。



久しぶりにリフレッシュできました!



義仲寺
義仲寺は無名庵ともいい、
元暦元年(1148)に没した木曾義仲のために、
巴御前が草庵を営み供養を続けたので
巴寺と称したのに始まるとされている..

境内には木曾義仲と
松尾芭蕉の墓が並んでいるので、
「木曾殿と背中合わせの寒さかな」
の句で有名。


芭蕉の花と実
芭蕉葬送の際に、
亡骸の横に芭蕉葉を植えたと言われている。

江戸時代の松尾芭蕉は、
深川の自宅の庭にあった芭蕉から
自分の名前を芭蕉としたらしいです。

芭蕉翁句牌
芭蕉翁の代表作の句碑
【古池や 蛙飛びこむ 水の音】
江戸深川にあった芭蕉庵で詠まれたもの

翁堂
境内の南詰付近に建つ。
正面祭壇に芭蕉座像と、
左右に去来、蝶夢法師の像が安置されている。
天井画は伊藤若冲筆になる四季花卉の図



2016年 9月24日(土) 膳所(滋賀)

<ぶらり膳所>

JR膳所駅・京阪電鉄膳所駅の北約300mにある寺院。
義仲寺の名は、平家討伐の兵を挙げて都に入り、帰りに源頼朝軍に追われて粟津(の地で
壮烈な最期を遂げた木曽義仲(1154-84)をここに葬ったことに由来しています。
近江守護であった佐々木六角が、室町時代末期に建立したといわれています。

 江戸時代中期までは木曽義仲を葬ったという小さな塚でしたが、
周辺の美しい景観をこよなく愛した松尾芭蕉(1644-94)が度々訪れ、
のちに芭蕉が大阪で亡くなったときは、
生前の遺言によってここに墓が立てられたと言われています。
 境内には、芭蕉の辞世の句である「旅に病て夢は枯野をかけめぐる」
など数多くの句碑が立ち、偉大な俳跡として多くの人が訪れます。



久しぶりにリフレッシュできました!



義仲寺
義仲寺は無名庵ともいい、
元暦元年(1148)に没した木曾義仲のために、
巴御前が草庵を営み供養を続けたので
巴寺と称したのに始まるとされている..

境内には木曾義仲と
松尾芭蕉の墓が並んでいるので、
「木曾殿と背中合わせの寒さかな」
の句で有名。

芭蕉の葉と花
芭蕉葬送の際に、
亡骸の横に芭蕉葉を植えたと言われている。


芭蕉の花

翁堂
境内の南詰付近に建つ。
正面祭壇に芭蕉座像と、
左右に去来、蝶夢法師の像が安置されている。
天井画は伊藤若冲筆になる四季花卉の図


芭蕉句碑
芭蕉辞世の句といわれる
「旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる」
の句碑




2016年 5月 7日(土) 膳所(滋賀)


<近江八景>

比良の暮雪、堅田の落雁、唐崎の夜雨、三井の晩鐘、
粟津の晴嵐、瀬田の夕照、石山の秋月、矢橋の帰帆、
室町時代末期に選定されました。


<粟津の松並木>

旧東海道の膳所から瀬田までの松並木を描いた「粟津晴嵐」。
この“晴嵐”とは、強風に枝葉がざわめく様子を表しています。
旧東海道に沿った湖岸の眺めはすばらしく、
晴天の日には伊吹山までも眺められたほどです。

「粟津晴嵐」に描かれた松林は、江戸時代、現在の旧東海道沿いにあたる
膳所城下町の南端から鳥居川の集落まで続いていました。
当時とは雰囲気が変わってしまったものの、
今も道沿いには松が残っています。
現在は、「大津湖岸なぎさ公園」に松が植樹され、新しい時代の松並木として、
近江八景の石碑が建てられています。



大津湖岸なぎさ公園の松
「粟津の晴嵐」の風景を復元した、
松の並木が連なる静かな遊歩道


膳所城跡公園
膳所城は、徳川家康が関ヶ原の合戦の後、
築城の名手といわれた藤堂高虎
に最初に造らせた城。
城構えは、湖水を利用して西側に
天然の堀を巡らせた典型的な水城で、
白亜の天守閣や石垣、白壁の塀・櫓が
美しく湖面に浮かぶ姿は、
実に素晴らしかったそうです



2015年 10月11日(日) 膳所(滋賀)

<ぶらり膳所>

JR膳所駅・京阪電鉄膳所駅の北約300mにある寺院。
義仲寺の名は、平家討伐の兵を挙げて都に入り、帰りに源頼朝軍に追われて粟津(の地で
壮烈な最期を遂げた木曽義仲(1154-84)をここに葬ったことに由来しています。
近江守護であった佐々木六角が、室町時代末期に建立したといわれています。

 江戸時代中期までは木曽義仲を葬ったという小さな塚でしたが、
周辺の美しい景観をこよなく愛した松尾芭蕉(1644-94)が度々訪れ、
のちに芭蕉が大阪で亡くなったときは、
生前の遺言によってここに墓が立てられたと言われています。
 境内には、芭蕉の辞世の句である「旅に病て夢は枯野をかけめぐる」
など数多くの句碑が立ち、偉大な俳跡として多くの人が訪れます。



久しぶりにリフレッシュできました!



義仲寺
義仲寺は無名庵ともいい、
元暦元年(1148)に没した木曾義仲のために、
巴御前が草庵を営み供養を続けたので
巴寺と称したのに始まるとされている..

境内には木曾義仲と
松尾芭蕉の墓が並んでいるので、
「木曾殿と背中合わせの寒さかな」
の句で有名。

木曾義仲の墓
粟津の地に葬られた義仲を供養する
という一人の尼僧が現れ、
義仲の墓に寄り添うように草庵を結んだ。

この尼僧こそ、
義仲の側室であった巴御前の後身とされ、
この尼僧の死後、
草庵は「無名庵」と呼ばれるようになったという。


翁堂
境内の南詰付近に建つ。
正面祭壇に芭蕉座像と、
左右に去来、蝶夢法師の像が安置されている。
翁堂からやや奥の東側に
義仲寺の鎮守木曽八幡神社があり、
西側に曲水(翠)の墓がある。

芭蕉句碑
「古池や蛙飛こむ水の音」