出張先での雑記帖



彦根
Hikone


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2025年 6月 8日(日) 彦根(滋賀)

<ぶらり彦根>

彦根城は、滋賀県彦根市にあった平山城。 別名「金亀城」。

琵琶湖畔の小高い独立丘陵である彦根山(金亀山、標高136m)を中心につくられ、
江戸時代には彦根藩の藩庁が置かれ、譜代大名の井伊氏14代が居城とした城。

近世の城で天守が残っているのは、
弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城。
このうち、姫路、彦根、松本、松江、犬山の5城の天守は国宝です。

彦根城は1992年に「姫路城」や「法隆寺」とともに
日本初の暫定リストに掲載されたものの
・・・暫定リスト入りから30年・・・
( 「姫路城」 と 「法隆寺」 は1993年に日本初の世界遺産として登録)



※30年間放置されたまま・・・がんばれ彦根城!



佐和口多聞櫓
二階二重の隅櫓と多聞櫓
壁には三角形と四角形の
狭間を交互に配置


いろは松

廊下橋(落とし橋)
廊下橋を中央に両坂道に面している
多聞櫓の角を二重櫓とした左右対称


天守閣(国宝)
3階3重の屋根で構成
附櫓と多聞櫓が接続された複合式の天守
屋根は切妻破風・入母屋破風・唐破風
花頭窓や高欄付きの廻縁を多様に配置


天守の内部構造
通し柱を用いず
各階ごとに積み上げていく手法で
曲がりくねった木材を組合わせ
て作られた天守や附櫓の梁


楽々園
「槻御殿」または「黒門外御屋敷」
彦根城四代藩主(井伊直興行)
によって造られた下屋敷



玄宮園
槻御殿(現楽々園)に伴う後園として
作庭された池泉回遊式庭園
(彦根城天守が見えます)



2022年 8月16日(火) 彦根(滋賀)

<ぶらり彦根城>

彦根城は、滋賀県彦根市にあった平山城。 別名「金亀城」。

琵琶湖畔の小高い独立丘陵である彦根山(金亀山、標高136m)を中心につくられ、
江戸時代には彦根藩の藩庁が置かれ、譜代大名の井伊氏14代が居城とした城である。

近世の城で天守が残っているのは、
弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城。
このうち、松本、犬山、彦根、姫路の4城の天守は国宝です。

彦根城は「江戸時代の政治体制を象徴する城」として、
平和な時代に存続し続けた彦根城の価値を世界に発信するために
1992年で世界遺産暫定リストに記載されてています。



2024年世界遺産登録を目指し頑張れ!



いろは松
表門橋に向かう中濠の沿道の松並木
「いろはにほへと(いろは歌)」の
文字数と同じ47本


佐和口多聞櫓
長屋のような形をしている櫓
佐和口と枡形を囲むように
築かれています。


太鼓門櫓
天守がある本丸表口をかためる櫓門
建物の背面に高欄付きの廊下



天秤櫓
廊下橋を中央に両坂道に面している
多聞櫓の角を二重櫓とした左右対称


廊下橋(落とし橋)

天守閣(国宝)
3階3重の屋根で構成
附櫓と多聞櫓が接続された複合式の天守
屋根は切妻破風・入母屋破風・唐破風
花頭窓や高欄付きの廻縁を多様に配置


天守の内部構造
通し柱を用いず
各階ごとに積み上げていく手法で
曲がりくねった木材を組合わせ
て作られた天守や附櫓の梁


楽々園
「槻御殿」または「黒門外御屋敷」
彦根城四代藩主(井伊直興行)
によって造られた下屋敷



玄宮園
槻御殿(現楽々園)に伴う後園として
作庭された池泉回遊式庭園
(彦根城天守が見えます)



2015年 7月19日(日) 彦根(滋賀)

<ぶらり彦根城>

彦根城は、滋賀県彦根市にあった平山城。 別名「金亀城」。

琵琶湖畔の小高い独立丘陵である彦根山(金亀山、標高136m)を中心につくられ、
江戸時代には彦根藩の藩庁が置かれ、譜代大名の井伊氏14代が居城とした城である。

近世の城で天守が残っているのは、
弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城。
このうち、松本、犬山、彦根、姫路の4城の天守は国宝です。

姫路城などとともに天下の名城の一つに数えられる彦根城は、
井伊直継・直孝によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成しました。
佐和(さわ)山城・安土城・長浜城・大津城の石垣や用材が使われました。
月明かりに浮かぶ彦根城は美しく、琵琶湖八景の1つに数えられています。





久しぶりにリフレッシュできました!



天守(国宝)
彦根城天守は北西に附櫓が、
さらに長い多聞櫓が連なります。
天守は3階3重の屋根で構成


天秤矢倉
この橋を中央として左右対称に
建てられているのが天秤櫓です。
まるで天秤のような形をしているところから
天秤櫓と呼ばれています。



廊下橋(落とし橋)

彦根城表御殿
彦根城表御殿は、彦根藩の政庁と
藩主の住まいを兼ねた建物で、
「表(おもて)」の空間では
藩士が登城して政務や対面儀礼を行い、
「奥向き(おくむき)」には藩主が住んでいました


埋木舎
井伊直弼が青春時代を過ごした舎
「世の中をよそに見つつも埋もれ木の
埋もれておらむ心なき身は」