出張先での雑記帖



草津
Kusatsu


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2025年 6月21日(土) 草津(滋賀)

<ぶらり水生植物公園みずの森>

水生植物の宝庫である琵琶湖のほとり烏丸半島に位置する
全国で数少ない水生植物公園。
園内では四季を通してさまざまな植物を楽しめ、
なかでも日本最多のスイレンのコレクションは必見です。

「スイレン展〜涼やかな彩り、スイレンの世界へ〜」
スイレン水槽ではスイレンの花と香りを間近で鑑賞することができます。
「花影の池」 は睡蓮が咲き誇り
まるでモネの幻想的な絵画のようですね。



オランジュリー美術館の 「睡蓮の間」 に飾られた
モネの集大成とも言える連作 「睡蓮」 (写真は「緑の反映」) と合わせてどうぞ!




色鮮やかに水面を彩る睡蓮が見頃です!


Burgundy Princess
トロピカル系
フルーティーで上品な香り



Fabiola
トロピカル系
フルーティーで上品な香り



Pink Sparkle
トロピカル系
フルーティーで上品な香り



Rose Magnolia
柑橘系
オレンジのようなさわやかな香り



Inter Light
柑橘系
オレンジのようなさわやかな香り



Texas Dawn
柑橘系
オレンジのようなさわやかな香り



Black princess
ローズ系
バラを思わせる強い香り



Almost Black
ローズ系
バラを思わせる強い香り



Moorei
微香系
ほんのり優しく香る



Sanguinea
微香系
ほんのり優しく香る




2024年 10月 13日(日) 草津(滋賀)

<ぶらり烏丸半島>

「水の未来に声を上げろ」をスローガンに
滋賀県出身の西川貴教さんが主催する野外音楽ライブ「イナズマロック フェス」
琵琶湖の環境保全と地域創生をキーワードに
琵琶湖畔の烏丸半島(滋賀県草津市下物町にある琵琶湖に突き出した半島) にて
2009年より毎年開催されています。

<イナズマロックフェス デザインマンホール>

日本屈指の大規模音楽イベント 「イナズマロックフェス」 をイメージした
デザインの 「デザインマンホール蓋」 が
琵琶湖岸の烏丸半島周辺の8ヶ所に設置されています。



全8枚をコンプリート!



2009年度版(青)
「烏丸半島芝生広場(同フェス会場)」
入り口に設置


2010年度版(緑)
「烏丸半島芝生広場(同フェス会場)」
東側の歩道に設置



2011年度版(赤)
「烏丸半島記念公園」
北側の歩道に設置


2012年度版(桃)
「琵琶湖博物館別館」
東側の歩道に設置


2013年度版(黄)
「琵琶湖博物館」
東側の歩道に設置


2014年度版(紫)
「水生植物公園みずの森」
入り口近くの歩道に設置


2015年度版(水)
「水生植物公園みずの森」
駐車場近くの歩道に設置


2016年度版(橙)
「道の駅草津グリーンプラザからすま」
近くの歩道に設置



2024年 10月 13日(日) 草津(滋賀)

<ぶらり烏丸半島(その1)>

滋賀県草津市下物町にある琵琶湖に突き出した半島

草津市域の最北、琵琶湖に突き出す烏丸半島周辺には
琵琶湖の原風景といわれるヨシ原が今もその姿をとどめています。
半島内には日本最多のスイレンコレクションを誇る「水生植物公園みずの森」
「湖と人間」をテーマに見て触れて体験できる「琵琶湖博物館」があります。

また、夏の風物詩となった「熱気球フライト」
「イナズマロックフェス」の開催地としても知られ話題いっぱいのスポットですね。



ノンビリと散策できました!



出会いの広場(琵琶湖記念公園)
「琵琶湖とその水で潤う近畿」
をイメージした出会いのアーチと
石の彫刻12体


琵琶湖博物館
世界有数の「古代湖」である
琵琶湖をテーマとする総合博物館
(ビワコオオナマズ水槽は閉鎖中)


水生植物公園みずの森
「植物と人、水と人のふれあい」
をテーマにした水生植物公園
スイレンの種類は日本最多の150種類以上


花影の池
フラワーバスケットと
水生植物を組み合わせた
ウォーターガーデン



パラグアイオニバス(花影の池)
1枚の葉の直径は1.5m程
南米パラグアイからアルゼンチン
ボリビアにかけて自生する巨大な水草


アトリウム(ロータス館)
ハスやスイレンなど
の水生植物を集めており
一年中花が楽しめます。



2022年 8月 27日(土) 草津(滋賀)

<淡海環境プラザ>

草津市の埋立島矢橋帰帆島に
下水処理関連技術を中心とした水環境技術の開発および普及促進を支援する拠点
下水道をはじめとする水環境に関連する技術の開発支援、
情報発信や下水道普及啓発活動など、
琵琶湖の水環境保全事業の支援を行っています。

淡海環境プラザには滋賀県や各市町村のマンホール蓋(カラー見本盤)
約50種類が展示されています



最近マンホーラーです!



淡海環境プラザ
館内には
滋賀県内のマンホールの蓋が
ずらりと展示されています



滋賀県デザインマンホール
滋賀県の鳥(カイツブリ)
山峰と琵琶湖、水上のヨット
が描かれたデザイン




2022年 7月 23日(土) 草津(滋賀)

<草津宿>

江戸時代には、人々が盛んに行き来する街道の各要所に
「宿場」と呼ばれる施設が置かれていました。
宿場は街道を通る人々のための宿泊施設と
物流の中継地点という2つの役割を持ちます。

草津宿は、江戸時代に東海道と中山道の合流点であり
多くの旅籠が軒を並べ栄えた宿場です。
江戸時代、宿場町に置かれ、大名や公家などが休泊した「本陣」
東海道・中山道の分岐点で交通の要衝であった草津には2軒ありました。
現在、1軒が残っており、別名「木屋本陣」と呼ばれています。
草津宿本陣は国内に現存する本陣の中では最大規模で
東海道筋では唯一ほぼ完全に残っている本陣です。





久しぶりにリフレッシュできました!



草津本陣通り(東海道)
東海道五十三次之内草津
草津川の渡しの様子が描かれた
デザインマンホール



東海道と中山道の分岐点
東海道・中山道・分岐点
慶長七年の道標が描かれた
デザインマンホール



草津宿追分道標
東海道と中山道の分岐点に
建てられた追分道標が描かれた
デザインマンホール



市の花「アオバナ」
京友禅の下絵を描く染料になる
青花紙の原料となるアオバナ
が描かれたデザイン仕切弁




2022年 4月 30日(土) 草津(滋賀)

<志那三郷の藤巡り>

草津市志那町にある三大神社、惣社神社、志那神社は
境内に藤棚があることから、志那三郷の藤とも呼ばれています。

<三大神社(砂擦りの藤)>

天武天皇の勅により、藤原鎌足の葬られた談峯の藤花に因んで、
藤原氏の隆盛を祈念して、倉橋山の藤を移植した
樹齢400年と言われる歴史ある「ノダフジ」です。
織田信長の兵火により消失後、根元から芽生え、今日に至っているそうです。
うすい紫の花と、ピンク色の花穂が地面に擦るほど長くなることから
「砂擦りの藤」と呼ばれています。



<惣社神社(惣社大藤の縁起)>

「惣社大藤の縁起」として
天武天皇の除病延命仏法興隆を祈念して供えられた
樹齢500年を超える藤



<志那神社>

天武天皇の頃に起源を持つ藤の一つ
藤棚に加え、珍しい八重咲きの藤(八重紫)があります。
残念ながら八重紫を見逃してしまいました・・・





久しぶりにリフレッシュできました!



三大神社
志那津彦命、志那津姫命、大宅公主命
の3柱の神様を祀っているため
三大神社と呼ばれます。


惣社神社
風神を鎮祭し意布岐神と尊崇したのが起源。
意布岐総社、総社大明神惣社神社
と称えられる志那三郷の惣氏神



志那神社
志那というのは神の息で生まれる風
風の神を祀るとともに
地名にまで神の名が充てられています。




2019年 3月 30日(土) 草津(滋賀)


<ぶらり草津>

<草津宿>
東海道五十三次のうち、江戸より数えて52番目の宿場町で、
東海道と中山道が分岐・合流している交通の要衝でした。



天保14年(1843)の「宿村大概帳」によると草津宿には、
田中七左衛門本陣と田中九蔵本陣の2軒の本陣、2軒の脇本陣、72軒の旅籠がありました。
(脇本陣、旅籠の数は時代によって変化します)
また、草津宿は中山道と東海道の分岐点で、その分かれ目に追分道標が立っています。


 


追分道標
東海道と中山道の分岐点である
この場所に1816年に建てられた
火袋付の道標


草津宿本陣
大名らが休泊する本陣の1つ、
田中七左衛門本陣



2016年 5月 15日(日) 草津(滋賀)


<ぶらり草津>

関ヶ原の戦いで勝利を収めた、徳川家康が慶長6年(1601)に
交通・運輸の便宜を図るために街道の整備を始めました。
東海道を上方と江戸とを結ぶ最も重要な街道として位置づけ、
宿駅ごとに人馬を常置させ、公文書や荷物を次の宿駅へと輸送する伝馬制度をいち早く制定し、
翌慶長7年には中山道にも伝馬制度を定めました。
そして寛永12年(1635)に徳川家光によって参勤交代が制度化され、
街道と宿場の通行が、より活発化していくようになりました。

「五街道」の呼称が使われ始めたのは、道中奉行が万治2年(1659)に設置され、
管轄下となった街道の名称を略したことによっています。
その5つは「東海道」「中山道」「日光道中」「奥州道中」「甲州道中」になります。
この五街道は、全て江戸の日本橋が起点となり、各方面へと道が伸びてゆきます。

<草津宿>
東海道五十三次のうち、江戸より数えて52番目の宿場町で、
東海道と中山道が分岐・合流している交通の要衝でした。

天保14年(1843)の「宿村大概帳」によると草津宿には、
田中七左衛門本陣と田中九蔵本陣の2軒の本陣、2軒の脇本陣、72軒の旅籠がありました。
(脇本陣、旅籠の数は時代によって変化します)
また、草津宿は中山道と東海道の分岐点で、その分かれ目に追分道標が立っています。



追分道標
道標の上部にある現在の火袋は木製ですが、
文政4年(1821)頃につくられた
「栗太志」によると、
当時は銅製であったと記されており、
大変立派なものであったことが分かります。

草津宿本陣
「本陣」とは本来、
戦の際に軍の総大将のいる本営
のことを指していました。


式台を持った玄関 と 上段の間

立木神社
1200余年の歴史を有する、
滋賀県隋一の古社。



通安全厄除けの神社

うばがもちや
永禄十二年、織田信長に滅ぼされた
佐々木義賢一族の遺児を託された
乳母が養育のために売ったのが始まり
と云われています。




2016年 5月 7日(土) 草津(滋賀)


<近江八景>

比良の暮雪、堅田の落雁、唐崎の夜雨、三井の晩鐘、
粟津の晴嵐、瀬田の夕照、石山の秋月、矢橋の帰帆、
室町時代末期に選定されました。


<矢橋帰帆島>

江戸時代、琵琶湖の対岸の石場(大津市)との間の渡し舟発着地として栄えた矢橋(草津市)は、
東海道を行く旅人が大津から東へ向かう近道としてにぎわいました。
「矢橋帰帆」には、その湖上を進む帆船の群れが描かれています。

矢橋港は、かつて草津市南西部の琵琶湖東岸にあった港。
東海道で京都へ向かう際、瀬田の唐橋を渡って大津へ行くより、
この港から舟で渡る方が近かったため、重宝されていました。
しかし、琵琶湖には「比叡おろし」や「比良おろし」と言われる突風が吹くことがよくあり、
転覆の危険性などもあったため、その危うさから
「急がば回れ」ということわざが生まれたとも言われています。



矢橋帰帆島
矢橋は滋賀県草津市の集落地名。
矢橋から船に乗り対岸に達すると
東海道の近道になることから、
古くから琵琶湖岸の港町として
栄えたそうです。

矢橋帰帆島大橋
矢橋帰帆島公園は、
琵琶湖に浮かぶ島に作られた、
木々や緑の多い公園


矢橋帰帆島公園