出張先での雑記帖



小田原
Odawara


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2025年 1月 17日(金) 小田原(神奈川)

<ぶらり 小田原>

小田原市では2020年4月1日から
「小田原市デザインマンホール蓋設置事業」を開始しており、
小田原駅周辺の路上に
新たなデザインマンホール蓋が次々に誕生しています。





<マンホールカード>

下水道広報プラットホームが企画・監修しているコレクションカード
全国各地の様々なデザインの下水道マンホール蓋を詳しく紹介しています。
今回は小田原駅から小田原城周辺を散策し
「小田原巡り」 「ガンダムデザイン」 「MFゴースト」 「E257系 特急 踊り子」
の4枚をゲット!

   

残念ながら 「酒匂の渡し」 は在庫切れでした・・・


銅小田原かまぼこ通りに設置
【酒匂の渡し】
小田原城・箱根連山・霊峰富士」
酒匂川を渡るふんどし姿の人足


郷土文化館前(小田原城内)に設置
【小田原巡り】
小田原城・学び橋・田原提灯
市の花(ウメ)


ダイヤ街商店街入口に設置
【ガンダムデザイン】
機動戦士ガンダム・小田原城天守閣


小田原漁港内に設置
【ガンダムデザイン】
シャア専用ズゴック・提灯灯台



小田原駅前に設置
【MFゴースト】
小田原城・小田原出身ドライバー
(相葉瞬)・愛車GT-R



小田原駅前に設置
【E257系 特急 踊り子】
特急 踊り子(E257系)
市の花(梅)



なりわい交流館前に設置
小田原宿と日本遺産(箱根八里)】
昭和初期に盛んだったブリ漁
現代の食べ歩きの様子



2025年 1月 17日(金) 小田原(神奈川)

<ぶらり 小田原>

海や山に囲まれた素晴らしい眺望、温暖な気候、豊かな食材などで
多くの人を魅了した小田原。
小田原はかつて関八州を統一した後北条氏の城下町として繁栄した
関東の出入り口として重要な拠点。
城下町として町の形成も領主の居城を中心に整備され
宿場町としての特有な町割となっていました。
今でも名物として有名な蒲鉾や梅干し小田原提灯などは
江戸時代から続いているものですね。



<小田原城>

関東支配の拠点として城下町と合わせて繁栄した小田原城は
南に相模湾、東に酒匂川、北西に箱根山という
地理条件も活かした難攻不落の城

戦国時代に関東地方を支配した北条氏の本拠地として有名
豊臣秀吉の小田原征伐(1590年)による包囲網によって落城
北条氏の領地は徳川家康の家臣だった大久保氏が城主になります。
江戸時代になると幕府の直轄領となり明治時代に廃城となりました。

東海道の要衝に築かれ、長い歴史を持つ小田原城。
現在の天守閣は、1960年に再建されたものだそうです。

久しぶりにリフレッシュできました


二の丸隅櫓と学び橋
二の丸の南東の隅に位置する
二の丸隅櫓は1934年に再建。
赤い欄干の学び橋は
小田原城址公園のシンボル的な存在


住吉橋
銅門虎口へ渡るための住吉橋
渡櫓門、内仕切門、土塀で構成される
枡形の銅門虎口


銅門
馬屋曲輪から二の丸へと通じる
二の丸の表門(1997年に再建
櫓門・中仕切門・土塀からなる枡形門



常盤木門
本丸の表門(1971年に再建)
多聞櫓と渡櫓門を配する枡形門



常盤木橋
二の丸広場から常盤木門へと続く
石段の下に架かっている朱色の橋



小田原城天守閣
1960年に再建された3重4階の天守閣
小田原の街を一望することができます



防波扉(御幸の浜)
防波扉のトンネルを抜けると
小田原を代表する絶景ビーチ
伊豆半島などが見渡せます



ちょうちん灯台
「お猿のがごや」にも登場する
小田ちょうちがモチーフとなった
小田原港2号防波堤灯台



小田原かまぼこ通り
江戸から明治期の風情を再現した通り
1781年創業の 「うろこき」 は
小田かまぼこ発祥の店だそうです。



海鮮丼屋 海舟
小田原早川漁港の海鮮丼専門店
まるで竜宮城のような建物ですね
早川漁港海舟海鮮丼(\2,830)




2017年 9月 9日(月) 小田原(神奈川)

<ぶらり 小田原城>

小田原城は、南に相模灘、東に酒匂川、西と北には箱根山
という要害堅固な城で、四代目北条氏政の時代には
上杉謙信や武田信玄の攻撃を退け、難攻不落といわれていました。
しかし天正18年(1590年)、豊臣秀吉の軍勢による包囲戦の結果落城。
北条氏の領地は徳川家康に与えられ、
家康の家臣だった大久保氏が城主となります。
その後は幕府の直轄となり、維新後の明治3年(1870年)に廃城となりました。

東海道の要衝に築かれ、長い歴史を持つ小田原城。
現在の天守閣は、1960年に再建されたものです。


<明治の偉人たちの邸園>

小田原には、明治の半ばから多くの政財界人や文人が
邸園(邸宅と庭園)をかまえました。
海や山に囲まれた素晴らしい眺望、温暖な気候、豊かな食材などで
多くの人を魅了した小田原。


久しぶりにリフレッシュできました


銅門
馬屋曲輪から二の丸へと通じる二の丸の正門
手前の門と奥の門で枡形門となっています。
渡櫓門には銅で装飾がほどこされています。


常盤木門
枡形に加え、高低差がある
堅固な守りの常磐木門

常磐木の名は、
門の傍に生えていた松の巨木に
由来するといわれています。


小田原城(天守閣)
再建から55年余り、
平成の大改修を終えた天守閣が、
2016年5月1日に公開されました。



報徳二宮神社
勤勉の象徴とも呼べる二宮金次郎像。
昭和3年におよそ千体制作されましたが、
戦争中に供出されて、
現存するのはこの1体のみだそうです。



清閑亭 (旧 黒田長成別邸)
明治時代に活躍した
黒田長成侯爵の別邸として、
1906年に神奈川県足柄下郡
小田原町に建てられました。


小田原文学館 (旧 田中光顕別邸)
本館一階の談話室と
二階洋室の南面に張り出したサンルーム
及び三階のべランダは
昭和初期のモダニズム建築の特徴を
よく示しています。